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ダーマ神殿の中庭にて。
私は一人の古い友人を待っていた。
名を、仮にシャレードとしておこう。
人間族の青年で、冒険者として多くの功績を残した男である。かつて各国の危機を救い、先の大魔王との戦いでも武功を上げ、ナドラガンドの探索では常に最前線で道を開いている。いわば英雄である。
かつては私と同じ魔法戦士団の一員だったのだが、あまりに秀でた能力故、組織の枠にはおさまらないとして、あえて任を解かれたほどだ。
その後も私とはたまに連絡を取り合っていたのだが、このたび、彼に個人的な依頼をすることになった。
実を言えば、この仕事は前々から私が頼まれていた仕事である。ずっと断り続けていたのだが最近事情が変わり、そうもいってられなくなった。そこで、古い友人を頼ろうというわけだ。
かなり心苦しいことだった。探求の果て待っているのは、私では決して耐えられそうにない、吐き気を催すおぞましい試練なのだ。だがシャレードは二つ返事で引き受けた。彼はいつもこうだ。任せておけ、と軽くうなずき、そしてその通りに任務をこなしてくる。
「いえ、そこまでひどい試練ではないはずなんですが……」
隣から声が聞こえた。この神殿で修業に励むタッツィという名の青年だ。
「というか、わざわざ他の冒険者を雇うなんて、そんな回りくどいことしたのはミラージュさんだけで……」
私は彼に振り向いた。すると、彼の後ろにあった石柱に四筋の裂け目が入り、たちまちのうちに倒壊した。これは超はやぶさ斬りと呼ばれる剣技で、ヴェリナードの英雄メルー公も得意としたという神速の4連撃である。あまりの速さゆえ回避は困難とされているのだが、日頃の努力の賜物か、タッツィの回避能力はメタルスライムをも上回る領域に達しているようだ。
私は足元に転がったタッツィの身体を見下ろしながら、彼の成長を褒め称えた。腰を抜かしたタッツィは、それ以上何も言わなかった。
鞘に納めた剣が荒っぽい音を立てる。私は戦記物の英雄を真似て呟いた。恨むなら自分か"神様"にしてくれ、と。
シャレードが戻ってきたのは、丁度その時だった。
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隣には、長身の男の姿がある。彼はスキルマスターと呼ばれている。タッツィの師であり、この仕事の実質的な依頼人。そして、私では絶対にこの任務を達成できない理由でもある。
シャレードは軽く手を上げて微笑んだ。どうやら片が付いたらしい。かなりの試練だったはずだが、息一つきらしていない。鮮やかなものである。
「実に素晴らしい」
眼鏡を光らせながらマスターは頷いた。
「ですが私の腕前もなかなかのものだったでしょう? いかがでしたか、ご感想は」
彼はしたり顔で冒険者を覗き込んだ。
と、シャレードは唐突に日誌帳を取り出し、表情一つ変えず、ただ一言、呟きながら書き込んだ。
「不快だった」
「感想はそれだけですか!?」
セレドット山中にマスターの叫びが木霊した。
私はある男の名前を思い出していた。
賢者アドバーグ。異世界の伝説において、勇者と共に魔王ギリと戦ったとされる英雄である。
剣や魔法だけでなく踊りをもマスターした超人であり、最終的に魔王ギリを封印したのも彼の踊りだったと伝えられている。
だがその性癖は非常に特殊であり、勇者ああああも大変な苦労をしたそうだ。
私はスキルマスターとアドバーグに同じ空気を感じずにはいられなかった。共通する特徴を上げていけば、はっきりと分かる。
変態。
気持ち悪い。
そして、変態。
なんということだろう、完全に一致してしまった。もはや同一人物と言っても過言ではあるまい。
よくよく考えてみれば、スキルマスターならば腰ミノ一丁で踊ってもおかしくないし、脇の下で握り飯を作って冒険者に食わせるぐらいのことは平然とやってのけるに違いない。本人に悪意がないというところまで含めてそっくりだ。
悪意なきものは誰よりも強いと言うが……。アドバーグがそうであったように、このマスターには誰もかなわないのかもしれない。
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兎も角、これで依頼は達成できた。私はシャレードに最敬礼を捧げ、相場の倍の謝礼を支払った。彼は何も言わず受け取ったが、後日、その半分が私のポストに送り返されてきた。奥ゆかしい男である。
一緒に届いた手紙によると、彼はいずれ人間族だけが通うことのできる"学園"に通うことになるそうだ。その土産話もしたいので、また会おうとのことだった。嬉しい申し出だ。
私の心は晴れやかだった。不愉快な依頼が、旧交を温めるきっかけになろうとは。人生万事塞翁が馬。災い転じて福となす。
こういう発想を忘れなければ、案外楽しんで生きていけるのではないか。
見上げれば、ウェナの空にはいつもと変わらぬ入道雲が、私を悠然と見下ろしていた。