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青白く発光する泡の群れが、闇の中を泳いでいく。それは深海を舞うマリンスノーによく似ていた。
時折視界を横切るのは、やはり青白い光を放つ魚の骨だ。トビホネウオと、ここに住む者たちは呼んでいるらしい。
宙を見上げる。空は無い。頭上を岩盤に覆われた地底世界。ここを闇の領界と人は呼ぶ。
一巡りほど前、ナドラガ教団の神官トビアス氏が彼の地にはびこる毒の予防薬を完成させた、という報せを受けた魔法戦士団は、私に領界探索の指令を下した。
目指すは毒と闇の支配する漆黒の世界。
だが、そのおどろおどろしい名前とは裏腹に、私の瞳に飛び込んできたのは美しい光の芸術だった。
発光苔と光る気泡、空を舞う魚たち。
頭上に描かれるアクアリウムのような光景に、私はしばし瞳を奪われていた。
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目を引くものは、頭上の景色だけではない。
地に視線を移せば、鋭く尖った巨岩がいくつも突き出しているのが分かる。
発光苔に照らされて青白く輝くそれは、まるで巨大生物の爪か牙だ。それを生やした地面までも、巨大生物の手足に見えてならない。
一部を削り取って採取してみたが、同行したメンバーの分析によれば、少なくとも職人が素材として使用できる程度には、獣の牙との類似性が認められたそうだ。
私はこの岩を写真に納め、報告書に記しておくことにした。
伝承によれば、各領界にはナドラガ神の肉体が分割して封印されているという。それが事実なら、闇の領界に封じられたのは爪や牙に違いない。
青白い光の照らす中、巨獣の背中を歩くような心境で、我々は細長い洞窟地帯を進んでいった。
悪い意味で目を引く景色とも何度か遭遇した。噂に聞く毒の空気だ。
地底世界である闇の領界では、発光植物の蕾が街灯代わりとなるのだが、厄介なことにこれが時折、毒を噴射する。
闇の中、明かりを求めて蕾に近づくと、そこに不意打ちを喰らうというわけだ。そうして餌食となった虫や獣を養分としてこの植物は育つのだろう。強かな生態である。
幸い、我々には頼れる先導役がいる。
「こちらは安全のようです」
赤いモノアイが我々を振りかえる。マニピュレータが手招きすると、ブルーメタルの身体が闇に輝いた。彼は私の友人で、名をジスカルドという。
教団が予防薬を完成させたとはいえ、その量は十分ではない。領界探索の人員は、数を絞る必要があった。
その点、キラーマシーンのジスカルドは毒を受け付けない身体である。最適の人材と言えた。
サーチライトが闇を照らし、駆動音を鳴らして四本足が闊歩する。我々はその後をそっとついていくというわけである。
「止まってください」
と、細いフレーム腕が我々の前進を制した。
見ると、前方より接近する人影がある。この地に住む竜族……ではなさそうだ。
黒い肌に、真ん丸の瞳。逆立った金髪。
軽装の鎧にマントを羽織り、なかなか文化的な装いだが、その手には剣呑な刃物を抜き身のまま握っている。一見して危険人物、である。
ジスカルドの装甲の継ぎ目から湯気が上がり、彼の陽電子脳が臨戦態勢に入ったことを知らせる。
私も腰の剣に手を伸ばした。
だが、人影は我々の姿を認めると、無言のままこちらを見つめ続けた。
数呼吸の沈黙。
丸い瞳。敵意は感じられない。
私は思い切って剣から手を離し、人影に対し軽く頭を下げた。
すると、どうだろう。彼も同じく頭を下げた。
どうやら友好的な民族らしい。
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竜族と魔物意外にここに暮らす民族がいたとは驚きである。
コミュニケーションが取れればなおのこと良かったのだが、それ以上のやり取りは成立せず、我々に興味を失ったらしいその男(だろう)は、再びぶらぶらと辺りをうろつき始めた。
果たして彼らはいかなる民族なのか。
とりあえず、報告書にこのことを記しておくことにしよう。
そんないくつかの遭遇を重ね、我々は最初の目的地にたどり着いた。
光る気泡を生む湖のほとり、発光植物の生い茂る峡谷に慎ましく形成された集落がそれだ。
天井からは木漏れ日のような蒼光が細く注ぎ、閑散とした村の景色を青白く染め上げている。
月光に照らされた静かな村、といった印象である。
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「その表現は、ミラージュ。今のこの村には相応しくないようですね」
ジスカルドが静かに指摘した。
私は苦笑しつつ頷いた。
教団の先行部隊からの報告が本当なら、彼の言う通りだ。
「嘘ではありませんよ」
と、聞き覚えのある声がした。先行していたナドラガの神官、エステラ殿である。
凛とした姿は相変らずだが、美しく整ったその顔に、疲労と憂いの色が浮かんでいるのがわかった。
「では、やはり……」
「ええ」
私が頭上を見上げると、彼女も同じ場所を見つめ、頷いた。
「月は、落とされたのです」