最初に目に映ったのは薄紫色の髪の毛だった。
ぼんやりとしていた意識が覚醒する。起き上がろうとした私を諌めたのは、ナドラガ教団のエステラ嬢である。
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「治療中です。どうかそのままで」
私は周囲を見渡した。黒ずんだ岩肌。可憐に輝く発光植物。宙を舞い輝く気泡。心配そうにのぞき込む人々の顔には、黒い角。
どうやらここはカーラモーラの村らしい。
隣ではジスカルドが、道具使いによってフレームを溶接されているのが見えた。
「すまねえな、サジェのために怪我させちまって」
声をかけてきた男の顔に見覚えがある。確かバジュー。サジェもいる。
彼らが私にことの経緯を教えてくれた。
戦いの後、気絶した私とジスカルドがこの村に運び込まれたこと。"月"の修復が無事完了したこと。
再浮上した"月"により、毒や病に犯されていた人々が助かったこと。あのオーガの淑女も無事だ。
「凄かったよ、月が浮かび上がるところは」
サジェは興奮気味に語った。巨大人工物の浮上シーンは、無条件に人の心を震わせるものだ。それが超自然の現象でない、人の英知の結晶だということが本能的にわかるからだろうか。
「そりゃ、私も見たかったな」
私は両手を首の後ろに当て、寝転がりながら答えた。
エステラ嬢によれば、しばらく安静にすべし、とのこと。解放者殿は早くも次の探索に向かったそうだが、とりあえずの危機は去ったことだし、お言葉に甘えさせて貰うとしよう。
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「ねえ」
ある時、見舞に来たサジェが言った。
妙に神妙な雰囲気を怪訝に思う。少し躊躇った後、少年は口を開いた。
「Q484は……」
そこで声を途切らせる。
「ううん、なんでもない」
少年は寂し気な笑みを浮かべていた。
「そうか」
私は、何も言わなかった。
隣ではR・ジスカルドが修理を受けていた。
「ねえ」
再び少年は口を開いた。
「なんでミラージュは……戦えるの?」
「そりゃ、訓練を受けてるからな」
私は少々わざとらしく、力こぶを見せてやった。
だが、その答えは少年のお気に召さなかったらしい。サジェは目を伏せ、そのまま視線を自分のつま先に向けた。
「僕は……守られてばっかりだ。ジスカルド、ミラージュ……あの人も。守ってくれなんて、言ってないのに。そのせいで皆怪我したり、毒に犯されたり……」
私は、バジューから聞いたサジェの姉のことを思い出した。
思えば、サジェは口癖のように言っていた。守ってほしくなんてない、と。
「私はロボットですから。あなた方を守るのは当然のことです」
ジスカルドは言った。彼の行動原理には一点の曇りもない。
「でも、ミラージュもあの人も、ロボットじゃない」
そして彼の姉も、だ。
「どうして……皆揃いも揃って……」
「サジェ」
私は少年の頭にポンと掌を当てた。
少年は真っ直ぐに私を見つめ返した。
格好いい言葉の一つや二つは思いついたのだが……今のところ、この答えが一番相応しいだろう。私は軽く微笑み、ありきたりな言葉を口にした。
「大人になればわかる」
案の定、少年はしかめっ面を浮かべてそっぽを向いた。
「大人はいつもそればっかり!」
病室を出ていくサジェに。入れ替わりでやってきたバジューがぶつかった。
苦笑いを浮かべつつ、私はそれを見送った。
まあ、こんなところだろう。これも、機械にはできないことだ。
ジスカルドはサジェの背中と私の顔を、交互にモノアイに映し出していた。
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それからさらに数日間。村では様々なことがあった。
予防薬を確保したナドラガ教団が本格的な支援を開始したことも、その一つだ。
「教団の勢力は、ますます拡大するようですな」
「あくまで支援のためです」
エステラ嬢は澄ました顔で言った。
カーラモーラの人々は、楽園の真実を知ったサジェの先導により、"月"に頼ることなく生きる術を探し始めた。
外部からの恩寵に頼りきりではいけない、というわけだ。
この点、恵みの木と共に歩むことを選んだ氷の領界とは対照的である。
オーガの淑女は、少年に別れを告げ、村を去っていった。その際、どうやら私には気恥ずかしくて言えなかったような台詞も言ってくれたらしい。この辺りは母性の強みである。
彼女を見送る、寂しげな少年の顔が印象的だった。
「ま、初恋は実らないものと相場が決まっている」
私はあえて軽く、そう言って見せた。
「そんなんじゃないよ!」
少年は顔を真っ赤にして反論した。バジューは笑い、ジスカルドは大真面目な口調で
「それは興味深いデータですね」
と呟いた。
私とバジューは顔を見合わせるともう一度大きく笑い、少年はすねたように我々に背を向けるのだった。