滑らかに輝く床を、鋼の竜がゼンマイ仕掛けで闊歩する。ずんぐりとした体を持つ鉄の鳥は、機械の翼でたどたどしく羽ばたく。空はヘックス模様に包まれ、人工の月が輝きを放つ。
楽園の名で呼ばれる空中都市にて、我々は地神ワギが残した試練の洗礼を受けていた。
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問いかけの試練。神の残した問いかけに、自分自身の言葉で答えよというのがこの試練である。
最初の問いは、不可解なものだった。曰く、最も優れた種族はどの種族かを答えよ。
……神々の時代には、こういう挨拶が流行ったのか? 私はウェディとしての誇りは持っているが、別段、種族主義者になったつもりはない。
答えを拒否したいというのが偽らざる私の気持ちなのだが……
それとも、ドワーフと答えればワギに気に入ってもらえて、先に進めるのか?
同行するキラーマシーンのジスカルドに意見を求めてみたが、彼は質問の主旨が曖昧過ぎる、とモノアイを横に振った。
仕方なく私はウェディと答え、先に進むことにした。汝の意思を尊重しよう、という有難い声が響いたが、思ってもいないことに対してそう言われても居心地が悪いだけである。
一体ワギ神は何を試したいのやら……
首をかしげ、肩をすくめていた私の背ビレに冷や水を浴びせるがごとく襲い掛かったのは、次なる問いかけだった。
恋人と親友、見知らぬ子供。一人だけ助けられるなら、誰を助けるか選択せよ。
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流石に私は即答できなかった。これに即答できる人物とは友人になれそうにない。物事を深く考えすぎて頭でっかちになった人物か、何も考えていない人物のどちらかに違いないのだから。
だが、平凡な私も前に進まねばならない。機械仕掛けの楽園を流れる風は冷たく、無情である。
さて、どう答えたものか。モノリスは無言で答えを待ち続けた。
私がジュブナイルの主人公なら、「誰も選べない」と答えて「それが正解だ」とでも言ってもらえるのかもしれない。
もう少し熱血寄りのストーリーなら、「自分は全員を守る!」と宣言して相手を感服させるパターンだ。
だが、私はもはや少年ではない。
私は試しに、背後にいる友人に意見を求めてみた。
答えがない。
彼は鋼鉄の頭部ユニットで、陽電子脳を最大限に回転させて考えている最中だった。
「ミラージュ」
彼は苦しげに音声を出力した。
「全員が助かる方法は無いのでしょうか?」
R・ジスカルドは悩める少年のような言葉を発した。しかも、やや熱血寄りの方だ。
「その方法があるなら、誰だってそれを選ぶだろうな。しかしこうして問いかけてくる以上、その方法が存在しない場合にどうするか、という問いだと思うぞ」
私は冷徹に返した。
回転音は一呼吸ごとに速度を増し、ついに彼の全身が熱気と共に騒音を上げ始めた。
「おい、大丈夫か」
「ミラージュ」
彼は虚脱したように頭脳の回転を止めた。回転の余韻がブルーメタルボディの中でしばらく響き続けた。
「貴方が私に第二条を優先せよと命令すれば、私は思考を続行するでしょう。しかし、可能ならば第三条を発動する許可を頂きたいのです」
ロボット三原則。
第一条:ロボットは人に危害を加えてはならない。また、危険を見過ごしてはいけない。
第二条:第一条に反しない限りロボットは人の命令を聞かねばならない。
第三条:第一条、第二条に反しない限り、ロボットは自分の身を守らねばならない。
私はハッとなった。
君ならどうする、という私の軽い問いかけが命令となり、第二条を発動させたのだ。
だが誰かを犠牲にしなければならない状況は第一条と矛盾する。彼は永遠に答えが出せない。
そして答えの出ない思考を延々と繰り返すことは彼の陽電子脳を急激に損耗してしまう。ここで第三条が発動する。
私のちょっとした質問は、R・ジスカルドに全ての原則に反する行いをさせる結果となったのだ。
私は謝罪し、思考の中断を許可した。
「お役に立てず申し訳ありません、ミラージュ」
「いや、私が悪かったんだ」
私は首を振った。
R・ジスカルドはロボットだ。
彼がどんなに優秀な頭脳を持っていようと、こればかりはロボットに決めてもらうわけにはいかないのだ。
私は一歩前に進み出ると、意を決し、心の赴くままに一つを選択した。
地の神は、それを正解とも不正解とも言わなかった。ただ先に進めと、そう言った。
私は最後の問いかけを受けるため、再び聖塔へと向かう。扉に手を駆けると、以前より重々しい音を立てて、塔は私を招き入れた。
ジスカルドは、楽園に残ることになった。
資格が無いからだ。
灯火台は厳かな炎を揺らし、挑戦者の影を長く、大きく映し出した。