青く染まった空から吹き下ろす風が、ヤシの葉を軽やかに揺らす。悠然とそびえる入道雲が、常夏の太陽と共に我々を見下ろしていた。
ヴァース大山林はヴェリナードの北東に位置する広大な原野である。常夏諸島の別名で呼ばれるウェナの中でも、ここより東は特に南国のムード漂う密林地帯が広がっている。
だが、ブーナー、ケラコーナの原生林と比べればこのヴァースには平地が多く、東西に流れるなだらかな川のおかげもあって、常夏の日差しの下でもどこか涼しげな雰囲気を醸し出している。
ピクニックには最適の場所と言えるだろう。
だが残念ながら、私は物見遊山でここにやってきたわけではなかった。
腰には剣を帯び、周囲に鋭く目を光らせる。
そして危険な獣がいないことを確認すると、後方を振り向き、問題なしのサインを送る。
護衛対象は青い体をぴょこんと揺らし、せっせと移動を開始した。青い空と川の流れに溶けこみそうな、弾力ある水滴の群れである。
私の名前はミラージュ。
ヴェリナード魔法戦士団の一員として様々な任務に携わってきた私だが、スライムの護衛をするのは初めてのことだった。
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娯楽島ラッカランのカジノで大規模なスライムレース、アストルティアカップが開催されると発表されたのは、一月ほど前のことである。
上位入賞者には、多額の賞金が支払われる。
一攫千金のチャンスに、数多くの職業スライムブリーダー、スライムオーナー、そして魔物使いとして腕を磨いた冒険者達までもが殺到。アストルティア・カップはカジノオーナー、フォン・バルディの狙い通り……いや、それ以上の大イベントとなりつつあった。
言い換えるなら、それは莫大な金の流れを生む、経済の祭典である。
入賞者に贈られる賞金だけでも、総額は1000億を下らないとか……。裏で流れる諸費用の総額はその比ではあるまい。いやはや、一体アストルティアのどこにそんなゴールドが眠っていたというのか。庶民の私は、ただただため息をつくばかりである。
このゴールドが市場に解放されることで経済にどの程度の影響があるのか、その分析は学者たちに任すとして、我々はもう少し目先のことを考える必要がある。
即ち、このゴールドの祭典に関わる要人や施設の護衛である。こうも肥大化しては、ラッカランの警備兵だけで手が回るものではない。
かくして、カジノオーナーと島主ゴーレック氏の蓮著による警護依頼が、魔法戦士団に届けられることとなる。
私の担当は、レーススライム達を管理する、あるキャラバンの護衛だった。
広大なヴァースの大地に、スライムの群れが跳ねまわる。青、赤、緑。色とりどりの雨粒だ。
その中心で一人、二本足で立ち鞭を振るうのは、プクリポ族の調教師、プロッツァ氏である。
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彼の仕事は、スライムオーナー達から預かったこのスライム達を指導し、一人前のレーススライムに鍛え上げることである。
スタッフは護衛の私を含めてほんの数名。大規模なキャラバンとはいえないが人気はあるらしく、率いるスライムは数十匹にも及ぶ。
これは調教師としての彼の信頼の賜物……と言うのも嘘ではないが、その本当の理由は、トレーニング料の安さにある。
スタミ菜、エムピーナッツといった最上級のエサはここでは使われない。金がかかるからだ。
科学的で豪勢なトレーニング施設も存在しない。金が無いからだ。
裕福な一流スライムオーナーたちは、プロッツァのキャラバンなど見向きもしない。二流三流、金のやりくりに悩む地方のオーナーが彼のお得意様である。
そしてプロッツァは、一流を征する二流のロマンに命を懸けた男だった。
「元々金を持ってる奴が一流の設備を使って一流のスライムを育て、ますます金持ちになっていく。俺達はヤラレ役で、指をくわえて見てるだけ。……そんなの、納得できるかい?」
そんな彼が好んで行うのが、この遠征トレーニングである。
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大自然の過酷な環境を活かし、一流トレーニング施設を無料で再現する。
ここヴァース大山林を流れる川は、成程、トレーニングセンターのプール以上にレーススライムの特訓に適した場所である。水しぶきと水流の中を必死ではいずり、飛び回り、たまに流されていくスライムたちの姿は逞しく、滑稽でもあり、また美しくもあった。
見てくれは粗野だが安上がり、かつ効果的な訓練で勝利を目指す。持たざる者の戦法としては理に適っている。
だが、長所と短所は裏表。この特訓には一つ、見過ごすことのできない欠点があった。
外敵の存在である。