ステンドグラスからあふれ出る光がサンゴ礁と海藻を冷たく照らし、魚たちがその上を駆けぬけていく。
神々しい光を受け、そびえるのはカシャル教のご神体、カシャル神像だ。
「イルカだよニャ」
「イルカだな」
「よその神様に文句言わないの」
顔を見合わせる私とニャルベルトの脇腹を、リルリラが肘でついた。
神獣カシャルはルシュカが海に沈んだ時、どこからともなく現れ彼らを救ったのだという。以来、このイルカは彼らの守り神なのである。
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イルカを崇めて暮らす民族。人は笑うだろうか。だが、必要なのはよりどころであり象徴なのだ。イルカだろうと鳥だろうとただの石だろうと、そのものには意味がない。
そしてそこに意味を生むためには儀式が必要だ。宗教の始まりである。
今、我々はその宗教の中心へと足を踏み入れた。
色鮮やかな珊瑚の柱がそびえる神殿前広場。カシャル教の物言わぬ巫女フィナの祈り場である。
だが、我々を待ち受けていたのはたおやかな巫女姫ではなく、強面の不愛想な男一人だった。
「久しぶりだな」
語り掛けた私の声は、わずかにこわばっていた。
目の前の男もまた、若干の居づらさを感じたように微かに目をそらした。
「ヴェリナード以来、か」
「そうだったっけな」
ちらりと拳に目をやる。あの時、些細な口論から大人げなく喧嘩をして殴り合った。それっきりだった。
目を合わせようとしない我々にリルリラとニャルベルト、オンネ氏はきょとんと顔を見合わせた。
とはいえ、私個人はともかく、ヴェリナードとしては彼に少々の借りがある。こうして無事な姿を確認できたのは、陛下や王子にとって何よりの朗報となるだろう。
「無事で何よりだ、まあ別に心配はしてなかったが」
「相変らず、口が悪ぃ奴だ」
「すまんな、何しろ育ちが悪い」
私が肩をすくめると、同郷の男はフン、と鼻を鳴らした。
「早速で悪いが、根掘り葉掘り聞かせてもらうぞ」
「面倒臭えな……」
ため息交じりにヒューザは話し始めた。
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仔細は省く。
結論として分かったのは、彼がこの街の巫女殿に助けられ、恩義を感じていること。物言わぬ巫女殿の言葉を何故かヒューザだけが理解できること。それゆえ、青の騎士団に重宝されていること。
敵に関する情報は何一つ掴めなかった。
「風乗りの少女のことも知らないのか?」
「風乗り?」
「同じ相手に囚われていたと思っていたが」
「悪ぃな。それは知らねえ。俺自身、どこをどう逃げたかもわからねえくらいだからな」
「走って逃げてここに辿り着いたなら、監禁場所は水の領界のどこかじゃあないのか?」
「かもしれねえし、旅の扉に飛び込んだかもしれねえ」
「フム……」
雲をつかむような話だった。
調査報告用のメモをとろうとして、水中で書けるペンも紙も無いことに気づく。街の人々はどうしているのだろう。石板に文字を刻むぐらいしかなさそうに見えるが……
私は宿屋の本棚を思い出した。当たり前のように紙の本がしまってあった。あれは、どういうカラクリなのか。
「……変わった街だな、ここは」
「悪い街じゃあねえよ」
ヒューザは珊瑚の手すりに身を持たせ、街を見下ろした。
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空に魚、地には人。海藻が踊り、珊瑚は色づく。
確かに平和な街だ。
荒れ狂うナドラガンドにこんな場所があったのかと思うほど、ルシュカは平穏な空気に……否、水に包まれていた。
聞けば、ルシュカが水没した当時でさえ、犠牲者は一人しかいなかったとか。カシャル様のご加護だそうだ。
しかしここまで手厚く加護を与えるなら、一体、何のための裁きだったのだろうか。あの孤島に逃れた者達が、いっそ哀れに思えてくるほどである。
「教団にとっても、厄介なことだろうな」
私はぽつりとつぶやいた。
これまでナドラガ教団は苦境に立たされた各世界を救うことでその影響力を拡大させていった。だがこの街は救済を必要としていない上に、ナドラガ神とは別の神を崇めているのだ。
教主オルストフ殿も、さぞ頭を悩ませているに違いない。今までのように領民が苦しんでいれば良かったのに、と。
「連中のせいでディカスの奴もカリカリしてやがる。面倒なことになりそうだな」
「今までこんなこと、ありませんでしたから」
ヒューザの言葉にオンネ氏が反応した。ディカス氏は青の騎士団の長である。ブルーディスカスとかけた洒落のつもりだろうか。ネオンテトラのオンネ氏といい、ルシュカの民の一部には魚の名前をもじって命名する風習があるようだ。
「だからといってクリプトカリオンやダトニオイデスなんて悪役は出てこないだろうな?」
という私のマニアックな冗談は、誰にも通じなかった。