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美しくも冷たい、氷の眼差しが海の世界を見下ろしていた。
漂うクラゲたちが色とりどりの光を映し、女神を彩るアクセサリーのように無言の美女を取り囲む。
足元を飾る蛍光色の珊瑚と共に彼女を見上げると、押しつぶされるような威圧感に、私の喉がごくりと鳴った。
我らウェディの種族神、女神マリーヌの神像。私が見たどの像よりも巨大なそれが、深海の闇に神々しくそびえ立っていた。
これがいつ、誰によって造られたものなのかは、ナドラガンドの歴史を知るための貴重な手がかりとなりそうだが、今のところ重要度は二番目だ。
一番はその足元で祈りを捧げる、女神像に負けず劣らず神秘的な風貌を持つ美女である。青い髪が深海に揺れる。憂いを秘めた大きな瞳がこちらを振り向いた時、既にヒューザは彼女に駆け寄って……否、泳ぎ寄っていた。
「世話の焼ける奴だぜ、まったく」
呆れたようなヒューザの声が響く。巫女殿の返事は、我々には聞こえない。だが会話は成り立ったようだ。
やはり神の器とやらが関係しているのだろうか。私にとっては同郷の友人に過ぎないヒューザを、あまり大層な人物とは思いたくないのだが……
ともあれ、巫女捜索はこれにて一件落着となったらしい。ほっと胸をなでおろしたのは青の騎士団所属、オンネ氏である。
「皆様、本当にありがとうございます」
オンネ氏は丁寧に頭を下げた。
だがその時、低く鳴く声があった。
「ニャッ……!!」
「どうした、ニャルベルト」
「向こうニャ!」
猫魔道の杖が深海を指さす。ニャルベルトの猫目は鋭く光り、闇から来るものをしかと捉えていた。
「ヒューザ!」
声をかけるとヒューザも気づいたようだ。私とニャルベルト、リルリラは武器を構え、臨戦態勢に入る。
戸惑うのはオンネ氏である。
「あの、何が……!」
「アンタはアイツの側にいてくれ!」
ヒューザが入れ違いで巫女殿の身体を預けつつ、剣を抜いた。
「礼を言うのが少し早かったみたいだぜ」
海流とは全く別の水流が、我々に向けて押し寄せた。獰猛な金属光が深海にギラリと輝く。
魔物たちの襲来だった。
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美しい女神の眼前を、醜悪な牙の群れが横切る。
敵影は10以上にも上るだろうか。マーマン・タイプの大物が3つ。うち一つが総大将だろう。ミツマタの矛を掲げ、猛々しく号令をかける。
邪悪なる意思のしもべを名乗る彼らの標的は、やはりルシュカの巫女だった。
「ニャルベルト、メラは使うなよ!」
私はニャルベルトに釘を刺した。海中で炎の呪文を使うのはどう考えても無理がある。仮に使えたとして、海水中の空気を燃やし尽くしてしまえば文字通り自分の首を絞めることになるだろう。
「ニャ、癪だけど援護に回ってやるニャ!」
「リラも、あまり動くなよ」
エルフのリルリラはこくりと頷いた。
戦場は、海。敵は全て、海を自在に駆け巡る水棲系モンスターである。水中での機動性では彼らに分がある。じっくりと腰を据えて戦うしかない。敵もそのつもりで襲ってきたのだろう。
彼らの戦術は正しい。少なくとも、エルフや猫を相手にするならば。
彼らに誤算があるとすれば……
私とヒューザは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
「愚かな連中だな、ヒューザ」
「珍しく同意見だぜ」
我々はふわりと海中に浮き、襲い来る魚影を出迎えた。
確か深淵魚キュラスと名乗ったか、あの大将は。我々がヒレを軽く揺らした瞬間、醜悪な牙をむきだして笑うキュラスの顔が瞬時にして凍り付いた。
海流より速く、魔物より早く、二人のウェディが海を舞う。先鋒として送り込まれた2体の魔物はあっさりと背後を取られ、次の瞬間、命も取られた。
海がわななき、深淵魚が奇声を上げる。
それを不敵に受け流し、ヒューザは大剣を突きつけた。
戦場は、海。
「どれだけ泳ぎに自信があるのか知らねえけどよ」
私はレイピアを掲げ、二人の剣に理力を纏わせた。
「ウェディ相手に水中戦を仕掛けるなど、100年は早かったな」
激したか、魔物達は一斉に襲い掛かった。
「やるか」
「おう!」
深海の激闘が始まった。