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深淵魚にとどめを刺した我々だったが、戦いはそれで終わりではなかった。
我々が戦いながら沈没船へと移動してしまったため、神像前にいた巫女殿の守りが薄くなっていたのだ。
そこを狙って攻め込んできたのは敵軍の総指揮官。自ら邪悪なる意思を名乗る、フードの男だった。
青の騎士団のオンネ氏が守りについていたが、とても太刀打ちできる相手ではない。
すんでのところで割って入ったのは、解放者の名で呼ばれる冒険者達である。
彼らを手強しと見てか、敵は意外なほどすんなりと撤退した。
だが、これで一件落着と言えるかどうか……
宿に戻り、ベッドに寝転びながら私はフードの男が残した捨て台詞の意味を考えていた。
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竜族を真に解放するのは自分だと、彼は言った。
そして巫女殿の治世は、逆に竜族を解放から遠ざけているのだとも言った。
後者の意味は分かる。この海底という牢獄の中で、竜族に最低限の幸せを保証するのが巫女殿の御業である。それに慣れてしまえば、無理に解放されようとも思わなくなるだろう。
安寧という名の鎖に、自ら繋がれるのもまた人の業か。
ならば、あの男は何をしようとしている?
私はこれまでの旅で見聞きしてきたことを頭の中で並べてみた。
ナドラガンド五領界とは何か。
それは、アストルティアの神々が竜族を罰するために運営する、牢獄のようなものだ。
神話の時代、竜神ナドラガと神々との間で何らかの争いがあり、敗れたナドラガとそれに与する竜族が処罰の対象となった。
神々は竜族を厳正に裁きつつも哀れみの心を忘れなかった。あるものは聖鳥の加護を、ある者は恵みの大樹を、また浄化の月を、カシャルの奇跡を与えて竜族を守護してきた。
そして神々は、いずれ彼らが刑期を終え、解放されることを望んでいる。
ここまでは、既知の事実である。
では、フードの男は何をしてきたのか。こちらも並べてみよう。
聖鳥を洗脳し、大樹を凍らせ、月を落とす。そして今度はカシャルの巫女。
どうやら彼の敵はアストルティアの神々と、その眷属らしい。
竜族を救おうという男が、竜族に手を差し伸べる神々の御遣いを、何故敵視するのか。
……だんだんと、見えてきた感がある。
神々はナドラガの罪を裁いた。だが、正義は常に勝者のものだ。裁きの根幹となる価値観そのものが、神々の勝利によって成り立っている。
救済の論理もまた然り。
ナドラガは邪悪であり、彼に加担した竜族にも罪があるが、かわいそうなので子孫には情けをかけてやろう。それが神々の論理である。
だがもし、ナドラガが邪悪でなく、竜族にも非が無かったとすれば。少なくとも、フードの男がそう信じているとしたら。
エジャルナで読んだ本によれば、ナドラガは他の神々が秩序を乱した場合、これを制裁する役割を担っていたらしい。
つまり最悪の線で考えれば、アストルティアの神々が悪事を働いて秩序を乱し、それを制裁しようとした竜神が返り討ちにあって封印され、邪神呼ばわりされている、という可能性だってあるわけだ。
無実の罪で獄に繋がれた罪人は、刑期が過ぎて釈放されれば救われたと思うだろうか? 否。真実の証明こそが救いである。私ならそう考える。
偽りの救いを受け入れようとしている今の竜族の姿は、あの男にとって我慢ならないものに違いない。しかも彼らは、自らを獄に追いやった神々の眷属を、救い主と呼び崇めさえしているのである。
まず竜族をアストルティアの神々から切り離し、しかる後に竜族の総意をもって神々に反逆し、これを屈服せしめてナドラガの正当性を認めさせる。
これこそが、あの男が言う真の解放ではないのか。
ならば彼の望みは、ナドラガンドとアストルティアの全面戦争か。
神々の器を襲ったのも、その際の戦力を削ぐためだとしたら……
お伽噺のドラゴン・ウォリアーとは、彼らのことなのか?
「で、結局あのヒトは誰なの?」
リルリラが退屈そうに椅子の上で脚をぶらぶらと揺らした。ニャルベルトは既に舟をこいでいる。
「フム……」
一つ、思い当たる名前がある。真っ先に思いついた名前だ。
そんなはずがないと打ち消して、なお頭にこびりついて消えない名前である。
私はぽつりと、その名を口から零した。
「竜神ナドラガ」
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エルフの肩がピクリと震えた。沈黙は一瞬だっただろう。その一瞬の静寂に私は耐えきれず、すぐに次の言葉を繋げた。
「……に関係する誰か、だろうな」
溜息が流れた。
全ては空想である。
何か新しい情報でも入ってこない限りは……
……と、ドタバタと慌ただしい音が聞こえてきた。
続いてドアを叩く音。猫が目を覚ました。
どうやら新しい情報は、思ったより早く入ってきたようである。