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血相を変えて走ってきたのは、青の騎士団に所属するオンネ氏だった。ひょっとしたら、少しぐらいは泳いだかもしれない。そんな顔だった。
だがそれも無理のないことだろう。変わらない街、ルシュカは今、大きな変化の時を迎えていたのだから。
聖塔の管理権を巡る騎士団とナドラガ教団の交渉は、決裂した。
それに伴い、"解放者"もその立場を大きく変えることになる。
中立を保ってきた我がヴェリナードも少なからず影響を受けることになるだろう。数日を経ずして、エジャルナに待機していた魔法戦士団員から連絡が届いた。聖都の様子が変わった、と。
「忙しくなりそうだ」
「相変らず、魔法戦士サマは大変だな」
別れを告げに神殿まで出向くと、ヒューザも旅支度を終えたところだった。
「お前だって、ルシュカの騎士になったんだろうに」
「性に合わねえよ」
ヒューザは青の騎士団から身を引き、争乱の糸を引いているであろうあのフードの男を独自に追うつもりらしい。
私としては頭の痛い話だ。ヒューザを連れ帰るのも魔法戦士としての私の任務である。黙って行かせたとあれば何を言われるか。
「どうも、減給は免れんかな」
「宮仕えは大変だな」
「やりがいはあるさ」
神殿から、巫女フィナが手を振っているのが見えた。ヒューザは視線だけ返した。クールぶりたいなら無視すればいいものを、そうできないところがこの男らしい。
ナドラガ教団との騒動の果て、彼女も少し、その立場を変えたのだという。
ヒューザから詳しい話を聞いたが……半分は我々が既に予想していた内容を裏付ける話、もう半分は機密事項としてヴェリナードに持ち帰るべき話だったため、ここでは省く。
ただ……彼女は我々にとっても、よき協力者になってくれるだろう。
「相変らず、人のため、人のため……ってな。敵にまで肩入れしてよ……」
ヒューザは肩をすくめた。
「あいつのお人好し病にも同情するぜ」
「気を付けろよ、ヒューザ」
私はヒューザを振り返りながら笑った。
「その病気、伝染するらしい」
さて……。
旅立ちの前に、我々は騎士団の訓練所を借りて、軽く型稽古をすることになった。
レーンの村以来、互いの成長を推し量るいい機会だから、と私が提案したのである。
ヒューザが顔をしかめる。海中だというのに、その額に汗が滲むが見えた。
だが、私はあえてそれを無視した。
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騎士団の見守る中、木剣を合わせる。静かに、ただ静かに。
天空の水面から光が差し、祈りの場にも似た厳粛な水が流れた。
剣筋は揺るがず、二つの剣が透徹とした水流を作り出す。流れていく、過去、現在。木剣が絡み合い、固い手ごたえが交差する。
稽古はつつがなく終了した。
息を吐き出し、我々は剣を納めた。水流が天に散っていった。軽やかに。
顔を上げ、我々は軽く拳を合わせた。ヒューザの拳には、水を思わせぬ軽快さがあった。
私は頷いた。
「悪い汗が吹っ飛んだだろう」
「……ま、ちょっとした運動ってとこだな」
ヒューザは少し考え込んだ後、いい運動の礼だ、といくつか技を披露してくれた。
件の五月雨斬りや、生意気にも魔法戦士顔負けに敵の理力を乱す閃光の技……。正規の訓練は受けていないだろうに、相変らず戦闘に関しては見事なセンスの持ち主である。
「だがな……」
私は腕を組んだ。
「どうした?」
「いや、ケチをつけるわけじゃあないんだが」
「何だよ」
「さっきの技、何といった」
「ああ」
ヒューザは真顔で答えた。
「ビリバリブレードだ」
「……もう一度」
「ビリバリブレード」
「何だって?」
「ビリバリブレードって、何度言わせる気だよ!」
どうやら聞き間違いではないらしい。
「……改名する気は無いのか?」
「はぁ? なんでだよ」
「……そうか」
村にいた頃はもう少しマシなセンスの持ち主だった気がするのだが。誰の影響を受けたのやら。
「ひょっとしてお前も使いたいのか」
「仮に使えたとしても、私はその技をビリバリブレードとは呼ばんだろう」
納得のいかない表情でヒューザは首をかしげるのだった。
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こうして、我々の道は再び分かれた。
ヒューザが力強く足を踏み出す。その足がかき分けた水が、波のように揺れて私の背中を押した。
同じ敵を追う限り、遠からず道はまた交わることになるだろう。
どこかの賢者の言葉を借りるなら、運命の線路が再び交差する時……という奴だ。
その時に奴に笑われないよう、腕を磨いておくとしよう。