
切り立った崖の先に、竜頭の像と小さな祭壇が寂しく備えられていた。
崖の先には首無き翼竜のような浮遊島が、その雄姿を風に晒していた。
我々は先の賢者が残した知恵の一部を頭の中によみがえらせた。
風原の北、烈風の吹きすさぶ岬の奥に竜の祠あり。
彼の書き残した書物に間違いがなければ、ここが烈風の岬。そしてあの浮遊島がナドラガ神の祠に違いない。
更なる探索を進めようとした我々だったが、祭壇の奥に一歩足を踏み入れた途端、まるで空気が爆発したかと錯覚するような衝撃が体を襲った。
爆音と共に凄まじい猛風に身体を弾き飛ばされ、我々は元いた場所に押し戻された。
見えない壁が侵入者を阻む。
先の崖では我々を目的地へと運んでくれた風が、今回は断固として我々の行く手を遮っていた。
風の神エルドナの意思だろうか。
ドラゴンキッズのソラとルナは互いに頷き合い、小さな翼で気流を遡ろうと飛び立った。
だが結果は同じだった。叱りつけるような鋭い風が彼らを追い払い、大地に叩きつける。
苛立たしげに嘶くのはミカヅチマルである。
黒い馬体が稲光に輝く。
走りには絶対の自信を持つ巨馬である。気性が荒くプライドも高い。
彼は目の前の風に怒りの視線を叩きつける。己の走りが風ごときに左右されてなるものかと、背に走る雷そのままに荒々しく突進した。

轟音が響き渡る。ミカヅチが風に抗う。
風雷拮抗!
だが、そこまでだった。押しても押しても、形のない風を弾き飛ばすことはできない。逆に形あるミカヅチマルは馬体を弾かれ、危うく足を痛めるところだった。
なおもいきり立ち、逆風に立ち向かわんとする彼をおしとどめたのはリルリラだった。小さな体をいっぱいに広げて、巨馬の前に立ちふさがる。
風神エルドナの子ら、エルフ族の娘をミカヅチは傲然と見つめた。
小さな手が荒々しいたてがみを撫でる。固くこわばった体を風がほぐすように。……と、ミカヅチマルは目を伏せ、脚を折り曲げて地に伏せた。
その脚にエルフは癒しの術を施す。
私はかつてカミハルムイで聞いた昔話を思い出した。
古の時代、神の大地を我が物顔に走る一頭の獣がいた。
己の走りに絶対の自信を持ち、風に逆らい、神の言葉をも振り切って禁断の地を踏み荒す。その走りは雷に例えられるほどであったという。
だが、その蛮獣にも決して敵わぬ相手がいた。
一つは風神の寵を受けし天神鹿。もう一つは白い翼をもつ天馬。ともに神獣と呼ばれる者達である。
蛮獣は執拗に彼らを追い回し、己の力を示そうとした。だがそのたびに軽くあしらわれ、屈辱を味わった。
蛮獣の気性はますます激しくなり、木々や大地、そこに根付く命を脅かすようになった。
見るに見かねた風神は蛮獣を戒め、鎖で繋いだ。獣はそこで罪を償うことになる。神ならぬ身で神に挑んだ罪を。
だがその一方で、風神は獣の飽くなき挑戦心を愛していた。
そして彼の分身とも子孫とも言える巨馬を新しい大地に解き放ち、その進化を見守ることにしたのである。
巨馬はその堂々たる体躯と神がかった俊足、雷のような荒々しさから御雷の一族と呼ばれるようになった。
今でも彼らは神に挑むものとして己の走りを磨き続けている。
ここまでが昔話の伝えるところだ。
そしてここからは、私が身近な人物から聞いた話である。
ある日、カミハルムイに仕える一人の神官が、森で傷ついた仔馬を発見した。脚を負傷し、放っておけば走れなくなってしまうことは明らかだった。
だが手当てをしようにも気性が激しく、人を近寄せようとしない。
困り果てた神官の前に進み出たのは、彼の娘だった。
仔馬よりさらに小さく、無防備な存在が両手を広げて近づいてきた時、さしもの荒馬も恥じ入るように大人しくなった。
少女はたどたどしい口調で祈りの言葉を唱え、癒しの術を施した。
彼らは心を通わせ、少女は先の伝説から、仔馬を御雷丸と名付けた。
風が吹き、雷鳴がとどろく。
エルドナのお膝元、嵐の領界にて、かつてと同じように傷を癒すエルフの娘は、ミカヅチマルの黒い馬体をそっと撫でた。
悠久の時を超えて、再び風神に挑んだ御雷は、またも敗北を喫した。雷を映すたてがみが悔しげに震えた。
風乗りの少女のことを思い出す。
神鹿を従えたあの少女であれば、この風をも手懐けて軽やかに飛んでいくのだろうか。
これは噂だが、と前置きして、盗賊は語り始めた。
風乗りの少女を、エジャルナで見たという噂が盗賊たちの間に流れているというのだ。
それが本当だとしたら、かの竜将と教団の繋がりを示す動かぬ証拠となるはずだ。
だが、あくまで噂は噂。断言はできない。
我々は噂の真偽について議論を交わした。
すると、影が差した。