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神獣との交渉はつつがなく終了した。
本来、神獣と会うためには力を示すための試練を突破しなければならないのだが、そちらは後詰としてやってきた"解放者"達があっさりと達成してくれた。全くもって規格外な冒険者である。
我々は神獣、天神鹿に共闘の約定を取り付けると共に、多くの情報を得た。
嵐の領界を取り巻く業風が、天神鹿にも悪影響を与えているという事実も、その一つだ。神獣はかなり力を失い、この森で力を蓄えるのが精一杯だという。
「あの風は、竜族への責め苦として神々が用意したものではないのですか?」
私は常日頃から抱いていた疑問をここでぶつけてみた。
「エルドナ神は慈悲深いお方です」
神獣は取り澄ました表情でそう答えた。高みから全てを見下ろす表情だ。
成程、私は頷いた。
確かに、槍で突くよりは針で刺す方が慈悲深いと言える。どちらにしても、血は流れるが。
流れた血は黒く固まり、歴史の裏側にこびりつく。神話の時代の負の遺産が、争乱の種となったわけだ。
我々は神々の後始末、か。
「神様だからって、なんでもうまくやれるわけじゃないんでしょ」
僧侶のリルリラは、ぼやく私の腕をつねった。
「神様達が昔頑張った結果がそれで、今度は私たちの番。私たちは私たちで頑張らないとね」
あっけらかんとしたものである。神々をまるで"ちょっと昔の人"程度に扱うその発言は、ある意味では私以上に不遜なのだが……。
ともあれ、当初の目的を果たした我々は烈風の岬に向けて神獣の森を後にした。
いや、後にするはずだった。
だがどういうわけか、天神鹿の元を一歩も動こうとしないものがいた。
誰あろう、ミカヅチマルである。
手綱を引こうと背を叩こうと、じっと神獣の瞳を見つめたままテコでも動かない。私はもとより、リルリラの声さえ耳に届かない有様だ。
ほとほと困り果てて、私は巨馬の背中から降りた。
恐らく、先ほどの走り比べをまだ気にしているのだろうが……
「ひょっとして天神鹿様に弟子入りしたいとか?」
リルリラが首をかしげた。
黒毛の巨馬は不愉快そうに嘶きを上げた。
「弟子入りのつもりはないそうですよ」
神獣は穏やかにそう言った。どうやら言葉が分かるらしい。
「ここで気が済むまで、私に挑戦したいそうです」
かつて神獣に挑んだ獣、森羅蛮獣。その血を受け継ぐ巨馬の挑戦を、天神鹿は懐かしむかのようだった。
「しかし、無理をしてはあなたの身体に響くのでは……」
「それは構いません」
私の杞憂を神獣は涼し気に受け流す。
「先ほど程度の走りなら、歩くのと変わりませんから」
この言葉が決定打であった。私はミカヅチマルを置いて先に岬に向かうことにした。
ナドラガの祠への突入予定時刻は今から2日後。
宿敵を前にいきり立つ巨馬の背に、私はそっと囁いた。
烈風の岬で待ってるぞ、と。
稲光のように鋭い眼光が交差した。