身を切るような荒んだ風が上空より吹き付ける。石造りの竜頭像は己を削り取らんばかりの烈風に身をさらし、今も健気に祭壇を守っていた。
その先には翼持つ首なし竜のような浮遊島。ナドラガ神の祠である。
準備に追われるうち、二日間はあっという間に過ぎ、烈風の岬には疾風の騎士団の中核をなす戦士達が集結していた。
少数精鋭とはいえ、"解放者"を中心に腕に覚えのある冒険者揃いである。彼らは天神鹿の背に乗ってあの浮遊島を目指す。
私のお供はリルリラと、ドラゴンキッズのソーラドーラ、ルナルドーラ。二匹の仔竜もコドラゴラムを使えば一人ずつを運べるはずだ。
ミカヅチマルの姿は、まだ無い。
風が流れ、雲が流れる。
定刻。
……と、静かに、流れる風が形を成したかのようにどこからともなく、しなやかな四肢と鹿角を持つ神獣の姿が現れた。
冒険者たちがどよめき、リルリラはぺこりと頭を下げる。私は跪きつつ、辺りを見回した。
黒毛の巨馬の姿は無い。
「さあ、私に乗って下さい。この暴風を越え、あなた方をナドラガの祠へと届けて見せましょう」
神獣は宣言し、解放者達はその背にまたがった。
二匹のドラゴンキッズも飛竜と化し、翼を羽ばたかす。リルリラがルナルドーラの背に乗った。
ソーラドーラが鼻先で私をつつき、騎乗を促す。
だが、私は首を左右に振った。訝し気に竜が首をかしげる。
「すまんな、ソーラドーラ。先に行っててくれ」
飛竜の角を撫で、私は立ち上がった。
後ろから、硬質な蹄の音が聞こえてきた。
振り返らずに私は言った。
「まさか、見送りに来たわけじゃああるまい?」
怒ったような嘶きが風をかき分けて耳に届いた。
飛竜が飛び立つ。天神鹿が空を駆ける。私はミカヅチマルの背にまたがった。
「見せてもらうぞ、特訓の成果とやらを」
ぴりりと痺れるような震えが黒色の馬体から伝わってきた。
武者震いだろうか。
ミカヅチマルはただじっと、風を見つめていた。
飛竜となって飛び立ったソーラドーラの背中を、ミカヅチマルは無言で見つめていた。
何か思うところでもあるのだろうか。私が顔を覗き込むと、今度は私の方をじっと見つめた。不愛想な顔が、笑ったように見えた。
私が脇腹を脚で叩き、前進を促すと彼はゆっくりと歩行を始めた。
次に彼が見つめたのは、因縁浅からぬ天神鹿の背中である。
こちらは先ほどとは違い、目を細め、一挙一動を見逃すまいと注意深く観察する表情だ。
天神鹿は左右に軽やかにステップを踏みながら、目に見えぬ道を蹴るようにして空を駆けていく。私は一度だけ、同じような走り方をする生き物を見たことがある。勇者をその背に乗せた、純白の天馬だ。
黒毛の巨馬は神鹿の走りを見届けると、ようやく脚に力を籠め始めた。いよいよ、彼の真価が試される時だ。
神の加護なくして超えることはできないとされるこの岬を、かつて神に挑んだ蛮獣の子孫は超えられるのか。
黒い巨体が風を切り疾走する。徐々に速度を上げつつ、右へ、左へとあえて蛇行するような動きを見せる。
私は彼のステップが、天神鹿のそれをなぞっていることに気づいた。あえて遅れてきたのは、神獣の動きを観察するためか。
竜頭の像を超え、目の前には峡谷が広がる。吹き付ける烈風。
そしてミカヅチマルは地を蹴った。
神獣の切り開いた道を、一歩も違わず辿り、風に乗る。力強い疾走感と共に浮遊感が私の身体を襲った。
空を駆ける。
荒れ狂う業風の中、わずかに残された道を彼は確かに捉えていた。
天神鹿の背は遠い。だが焦らず、一歩ずつ、かの神獣が歩む道を追い続ける。
これが、彼の出した答えだ。宿敵に追いつくため、あえて宿敵の技を真似てみせる。プライドの高い彼にとって、それは苦渋の決断だったに違いない。
私はふと、先ほどの視線の意味を考えた。
ソーラドーラはあのモンスターバトルロードで、勝利のためにあえて目先のプライドを捨てて見せた。
私もまた、ヒューザの奴に追いつくため、その技を参考にしてフォースブレイクの強化に成功した。
ミカヅチマルは、そのことを思い出していたのではないか。
お前たちに負けるものかよ。
誇り高く不愛想な荒馬が、そううそぶいたような気がした。
天ツ風を追い、御雷が空に舞う。
心地よい疾走感に包まれ、私とミカヅチマルは風の中を駆けぬけていった。