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沈黙がテーブルを支配する。私もエステラ嬢も、しばらく口がきけなかった。
坑道を通る風の音が、地下空洞にまで響きわたった。嵐の領界にしては、穏やかな風だ。
私は神々の慈悲深さについては常々疑問を抱いていたが、少なくともエルドナ神は限りなく寛大な女神らしい。
エルフはまたも茶をすする。圧倒されたように竜族の神官……あるいは元神官は彼女をじっと見つめていた。
そういえば、彼女はかつてリルリラに、エルドナ教の教義について尋ねたことがあった。
その時のリルリラの答えは「みんなで頑張って幸せになろう」といういい加減なものだった。
エステラ嬢も、それを思い出したのだろう。彼女がそのことについて触れると、リルリラは「ああ」と舌をだした。
「経典にかいてあること、回りくどくてわかりづらいから私流に書き直しちゃった」
もはや何も言うまい。エルドナ神の限りない寛大さに感謝するのみである。
一方、女神官の瞳は深い色に染まっていた。
考えてみれば、ナドラガ教の教義はどうなのか。苦しむ竜族を救え、という教義は確かに立派に見えるが、あまりにあの男の目的にかないすぎている。
そもそもナドラガ教団自体、オルストフ老が一代で築き上げた教団に過ぎないのだ。彼が白か黒かはともかくとして、最初から目的ありきの宗教であったことは間違いない。
聖典さえも、誰かが書きなおした教えにすぎないのか。
それを崇め、奉ずることに本当に意味はあるのか?
あらゆる教えに付きまとう根本的な問題に対する答えの一つが、リルリラだ。あまりに乱暴でとても他人には勧められない答えだが。
女神官は静かに尋ねた。
「僧侶になったこと、後悔してますか?」
「……どうだろ」
もぐもぐとお茶菓子を頬張りながらリルリラは答えた。
「いいこともあったし、嫌なこともあったし……」
ごくりと飲み込むと、彼女は何かに気づいたように、茶目っ気たっぷりに笑った。
「でも、ミラージュの旅にくっついてきて、エステラさんに会えたのは、私が僧侶だったおかげかな」
確かに、彼女が僧侶でなければ私とコンビを組むこともなかっただろう。ケ・セラ・セラ。なるようになるか。
エステラ嬢は静かに微笑むと、胸に手を当てたままゆっくりと瞳を閉じた。
問いかけているのだ。自分にとって、神とは、教義とは何なのか、と。
その問いに答えるのは、少なくとも神ではあるまい。
他の誰にとってもそうであるように、彼女には時間が必要だった。己自身と向き合う時間が。
だが今、彼女と彼女自身の間には分厚い防壁が立ちふさがっていた。大聖堂を覆う光の壁が。
休息の時間は永遠ではない。湯呑に残った最後の一摘を飲み干した時、彼女には再び、あの壁と向き合わねばならない時間が訪れるのである。
彼女は名残を惜しむように湯呑を軽く回すと、それを喉の奥に流し込んだ。
「はい、おかわりどうぞ!」
すぐさまリルリラがポットを手にした。女神官が目を丸くする。悪戯っぽくエルフの僧侶が笑う。そして、エステラも笑った。
「焦ってもいいことないって」
再び熱い茶が注がれる。頑なな心を何度でも溶かすように。
「無理しちゃだめだよ。いつでも手を貸すからね」
女神官の黒い角が小刻みに震えるのを、私はそっと見つめていた。
やがて旅立ちの時がやってきた。女神官は再び凛とした空気を纏い、今は敵地となった故郷へと赴く。
心配でないといえば嘘になる。だが今の彼女は、ここへやってきた時の彼女ではない。固い決意と共に、柔軟で粘り強い力がその胸に満ちているのが分かった。
「エステラさん」
見送るリルリラが再びティーポットを掲げた。
「またお茶しようね」
エステラ嬢は目を細めて笑みを浮かべ、静かに頷いた。
「ええ、必ず」
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そして彼女は去っていった。