【注:ver3.5後期のストーリーネタバレを含みます】
第四話「聖なる種火」中編
物思いにふけるうちに、原理主義派の行進は薬屋の前を通り過ぎたようだ。ほっとする思いで通りに出た彼女の耳に、二つの音が届いた。
一つは、徐々に遠ざかるシュプレヒコール。もう一つは、その大音声に今の今までかき消されていた、小さな声。
『泣き声……子供……?』
それはまるで唐突に、そこに現れたかのように見えた。通りの片隅に、泣きじゃくる子供。だが違う。さっきからずっといたはずだ。彼女も、あの連中も、気づかなかっただけだ。途端に腹が立った。
子供が泣いてることにも気づかずに、何が神だ!
反感が仏心になったのか、それとも純粋な母性がそうさせたのか、彼女はその子供の側に駆け寄った。見れば、どこかで転んだらしく膝に擦り傷がある。
「どうしたんだい、お母さんは?」
子供は泣きながら遠ざかっていく行進の背中を指さした。まさか子供を放り出して行進に参加したのだろうか? ますます腹が立った。
「ほら、怪我したところ、見せてごらん」
女はバッグに薬草が入っていることを思い出し、屈みこむ。
少年の衣服にナドラガの聖印が刻まれていることに気づいたのは、その時だった。
白ローブではない。大聖堂に立てこもったエステラ派の教団員が身に着けるものだ。彼女は自分の勘違いを悟った。途端に怖気が走った。
彼女は少年の指さした方向を改めて振り返る。石を投げる民衆。その向こうに、ナドラガの大聖堂。
『間違いない……』
何かの手違いで抜け出してきた、教団員の子供だ。
それが何を意味するのか、考えがまとまる前に背後で何か音がした。
とっさに彼女は子供を抱き寄せた。白ローブの連中かと思ったのだ。音の正体は片側だけ千切れた吊り看板だった。
ほっと胸をなでおろす。
もし今、この子が彼らに見つかったなら、何が起きる?
彼らは少年を優しく家まで送り届けてくれるだろうか。とてもそうは思えない。彼らにとっては背教者の子、悪魔の子だ。
人質? それともその場で……。白ローブは逆らう者に容赦しない。背筋が凍るような噂をいくつも聞いた。その全てが真実とは思っていなかったが、いくつかは事実だろう。
ならばどうする?
『どうするって、何を?』
何の義理も無い。私にはこの子を守る義務はない。でも、声をかけてしまった。目の前にいる。泣いている。考えがまとまらない。
……と、通りの角から、今度こそ誰かの足音。あと何歩かでここに辿り着く。
「坊や、手当してあげるから、うちまで、ね」
咄嗟に耳打ちして、彼女は少年を抱きかかえた。
後になって思えば、冷静な判断とは思えない。だがこの瞬間、彼女の頭にあったのは、この無垢なる魂を白ローブの手から守ってやることだけだった。