【注:ver3.5後期のストーリーネタバレを含みます】
第五話「瞳のナイフ」後編(1)
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ぽとり、ぽとりと流れ落ちる血が炎の光を跳ね返して黒く光った。
町中が息を止めたかのように、一瞬の静寂が夜のエジャルナを覆った。
子供はまだ戸惑った表情のまま、身をすくめていた。がっしりとそれを覆うのは女の細い腕。
こめかみから血を流しながら、女は街を睨みつけた。あの時、とっさに体が動いた。身を挺して子供をかばったのだ。
「そ、そんなつもりじゃ……」
ショートリーゼントの男が脚を震わせて後ずさりした。当たるはずのない石。誰も傷つけるはずのない石だからこそ、気軽に投げたのだ。今も、昨日までも。
それが今、隣人を傷つけ、赤い血を流させている。
男の背筋を冷たい風が撫で上げた。
これまで投げた石全てが、誰かに当たっていたかのような後ろめたさに襲われて、男は呻きを漏らした。石を投げた腕が寒い。
女は怒りに燃える瞳でその顔を睨みつけた。ナイフのように鋭い視線が男を襲った。
一度でも石を投げたことのある者なら、等しく誰もが喉元にナイフを突きつけられた気分になったはずだ。つまりは、ここにいる全員が。
「こんな小さな子供なんだ……」
女は呟くように小さく言った。小さな声が、全員の耳に届いた。
「怪我をしてたんだ! 助けてやったって、いいだろう!」
男に、民衆に、街に向かって彼女は叫んだ。炎渦巻く街に。
「どうして石を投げられなきゃいけないんだ! どうして!」
血と共に涙が流れる。それを見て、子供が泣きだした。泣き声が響く中、夜に向かって女は叫ぶ。黒い炎が、萎縮したように震えた。
だが白ローブは微動だにしない。
「たとえ子供と言えど……」
フードの中に光る眼が、冷徹に断言する。
「背教者ならば許しておけぬ」
杖を掲げる。冷酷な打擲の構えだ。
観衆が静まり返った。さすがに子供に手荒な真似はしないだろう……などという甘い希望は微に砕かれた。
『おい、誰か呼んで来いよ』『誰かって……誰だよ』
観衆は狼狽する。すがるべき支配者は、目の前の凶行の主。白ローブが一歩踏み込むと、女は子供を覆い隠すように抱きしめた。
「この街はおかしくなってるんだ! どうかしてるんだよッ!!」
空を焦がす炎が、大きくうねりを上げた。民衆がどよめく。泣き声が響く。
「何が神だ! こんな奴らの言いなりになってたまるか!」
激情のまま、彼女は押さえつけられていたもの全てをぶちまけた。誰もが思っていたことを。
民衆はもう、金縛りにあったように動かなかった。動けなかった。
その静寂を貫く声があった。
「背教者よ」
誰もが振り返る。民衆の壁をかき分けて、更なる白ローブの一団が姿を現した。