【注:ver3.5後期のストーリーネタバレを含みます】
第五話「瞳のナイフ」後編(2)
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「背教者よ」
誰もが振り返る。民衆の壁をかき分けて、更なる白ローブの一団が姿を現した。その中央に、紫色の長い髪をなびかせた男がいる。
ロマニ。原理主義派の首魁である。白ローブが跪く。
彼は厳かな足取りで女に近づくと、黄色い瞳から冷たい視線を浴びせた。
「我らは神の名を崇めるもの。神の御意思に従うは竜族の責務。お前はそれを否定しようというのだな」
品定めするように、彼は女を覗き込む。
答えの代わりに、女は唾を吐き出した。
もはや逃げられない。だったら最後は好きなようにやってやる! 冷ややかな支配者の眼に、彼女は燃え盛る視線を刺し返した。
ロマニは無表情に頷いた。
「よかろう。ならばその腕に抱いた背教者の子と共々に、厳粛なる裁きを受けるべし」
民衆からどよめきの声が上がった。ロマニが手を伸ばすと、背後に控える白ローブがその手に大鎌を持たせた。
黒鉄が炎の色に輝き、残忍な光を放つ。竜の神官は無慈悲にそれを振り上げた。
「お、おい、あんた!」
女に向かって、ショートリーゼントの男が上ずった声で呼びかけた。
「あんた、早く謝るんだ。こ、殺されちまうぞ」
怯えている。震えている。
取り囲む視線もしきりにうなずいた。女はわけのわからない涙を流した。激情の大渦が細い身体を揺さぶり震わせた。
「誰が……誰が謝るもんか! 私は何も悪いことはしちゃいないんだ!!」
ロマニは無言のまま彼女に近づき、大鎌を振り上げる。鋭く獰猛な刃が、無力な女とあどけない子供に狙いを定める。
誰かが悲鳴を上げた。ロマニは意にも介さない。神の名のもとに。
悪魔の所業だ。
残忍な刃が、風斬り音と共に振り下ろされた。
重いもの同士がぶつかる音がした。
固いもの同士たぶつかる音がした。
刃が地を削る。女は目を見開いて、それを見つめていた。痛みは無い。
ロマニは体勢を崩していた。大鎌は空を斬った。死刑執行の直前、観衆の輪から飛び出した何者かが彼に体当たりを敢行したのだ。
エステラ派の神官たちが駆け付けたのか? 違う。
魔法戦士団の精鋭が割って入ったのか? 違う。
街に滞在していた冒険者の誰かが凶行を阻止したのか? 違う。
それはやや太り気味の、これといって特徴のない顔をした男だった。
パン屋に務めている。今年で36になる。荒事は苦手で、武器など持ったこともない。
今朝、大聖堂に石を投げた。
ロマニは忌々し気に男を振り払い、再び鎌を振り上げようとした。その背後から三人! 古着屋、大工、酒場の店員……何の接点も無い男たちが一斉にとびかかった。
パン屋の男もそれに加わる。ついにロマニは押し倒され、鎌は手から離れた。
観衆が悲鳴を上げる。
ロマニは怒りの形相で市民を見上げると、常人離れした膂力で上半身の束縛を振りほどき、鎌に手を伸ばした。
その大鎌を、遠くへ蹴り飛ばす脚がある。
ショートリーゼントの男だ。
彼はロマニの視線におびえ、ヒッと短い悲鳴を上げた。
そして人混みをかき分け、逃げていった。
男の行方は誰も知らない。
追う者もいなかった。
ロマニを助けようと、他の白ローブが動いた。その顔面を花売りが殴りつける。雪崩を打ったように数名がそれに続く。通りのあちこちで、同じことが起こった。恐慌が街を覆う。
逃げ惑う者、怒りに燃えるもの。混沌、混乱、そして爆発。白ローブはその波にのまれる。
誰もがわけも無く叫んだ。押さえつけられてきた全ての感情が今、氾濫し、溢れ出したのだ。怒涛。怒号。畜生、よくも、よくも、よくも……!!
誰かが女の隣にかがみこみ、傷口に布を当てた。その瞳が涙を流していた。
女は、どんな感情を抱けばよいのかわからなかった。
ただ、抱きかかえた子供の体温だけが確かに感じられた。熱く、激しく脈打っている。
そして彼女は見た。あの空よりも赤く黒く、エジャルナを覆っていた渦が、火を上げて燃え始めるのを。
暴動が始まった。