【注:ver3.5後期のストーリーネタバレを含みます】
第八話「邪悪なるもの」後編
白い灰が私の前を横切った。満身創痍の二人の竜族の肩に、数えきれない灰の欠片が降り積もっていた。
「全ては計算通り、か」
躊躇うようなしばしの間の後に、無感情な声が続いた。
「……背負うべき罪が一つ増えた。それだけのこと」
ロマニはそう呟いて身体の力を緩めた。途端によろめく。ドマノは相棒の肩を支えた。その彼もまた、立っているのが精いっぱいだった。
ナダイアが倒され、エステラが道を示した時、彼らは"邪悪なる意志"たる自分たちの野望が潰えたことを理解したに違いない。時代の流れが、"解放者"とエステラを選んだのだということを。
そして彼らは選ばれざる者の最後のけじめとして、己の立場と使命に従い、果たすべき役割を果たしたのである。
ナダイアは言った。誰もが恐れる"悪"の存在こそが、人を一定の方向へと導くのだと。
邪悪なる意志とは、竜族解放のための必要悪。
彼らが支配者として悪の限りを尽くしたことで、流されるだけだった民衆は自ら立ち上がり、神の名の元の支配から自らを解放した。分裂しかけていた教団もトビアスの元に団結した。膿を出し尽くし、彼らは生まれ変わった。
彼らはナダイアに殉じたのだ。最後まで"邪悪なる意志"を演じ続けたのだ。万人の敵として。倒されるべき悪役として。
この戦いを、新たなる時代の礎とするために。
「まるで殉教、だな」
「そんな立派なものではないさ。我々とて、最初から敗北を望んでいたわけではない」
ロマニは力なく首を振った。
「民衆があのまま我々に従うのなら、それでよかった。ナドラガ神の名のもとに民衆を支配し、その力をもってアストルティアの神々に対抗……。何もかもが上手くいくような気もした。欲もあった。全て、かき消された」
ロマニは虚無的な笑みを浮かべると、痙攣を起こしたように震えた。
「さぞ滑稽に見えような」
自嘲的にドマノは言った。
「笑わんよ」
私は再度、首を振った。
邪悪なる意志の尖兵として彼らが重ねてきた悪行を思えば、安易な同情は禁物である。ましてや今も、理由はどうあれ彼らは多くの犠牲を強要し、破壊の限りを尽くしたのだ。
怒るべきだ。理性がそう訴えかける。
だが、今私の目の前にあるのは、悲しいまでに愚直な男たちの姿だった。他の道を選べなかった男たちの姿だった。
私は瞳を閉じ、親指で背後を指し示した。
「この先に市民兵が集結している。練度は低いが士気は高く、数も多い」
幕を引くには十分な相手だ。
「……感謝する」
ロマニは竜族式の敬礼を返すと、私の隣を通り過ぎていった。ドマノもそれに続く。迷いなき足取りだった。
私は瓦礫に腰掛けたまま、大きく息をはいた。
白い灰が音も無く降り注いでいた。
やがて彼らの向かった方向から民衆の悲鳴が聞こえ、それが怒りの咆哮へと変わった。
ほんのわずかな、戦いの音。
そして立て続けに二つの断末魔が上がった。
時を同じくして、空に震動が走った。
後で知ったところによれば、丁度、"神墟"ナドラグラムの決戦に赴いた"解放者"が、全ての元凶を打ち倒した時刻と重なっていたそうである。
この瞬間、竜族の歴史は新たな一歩を踏み出した。
あれゆる歴史書がこの瞬間を刻みつけるだろう。解放者と、竜族の栄光を。
打ち倒された、忌むべき"邪悪"の名と共に。
「邪悪なる意志、か」
降り注ぐ灰が、戦火の残り香を真っ白く包み隠していった。
私は手元の記録書に彼らの名前を書き記した。歴史の語る邪悪の名前を。
そして歴史が決して語らない記憶を、私自身の中にしっかりと刻み込んだ。