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今日も総帥Mは本部より冒険者達を叱咤激励する。
「残り3分、ここからが勝負どころだぞ!」
我々記録員、連絡員も固唾をのんで戦況を見守る。残り3分から突然崩れるケースは決して珍しくないからだ。
ところで、少々気になっていることがある。
公はこれまで表立って政務に携わることは無かった。それは自分自身に"ある使命"を課していたからだ。すなわち、女王陛下のガーディアン。
宮殿と防衛軍本部はなるほど目と鼻の先だが、それでも公がこれほど長く陛下の御側を離れたことがあっただろうか? 陛下の身に万一のことが……と考えたりはしないのだろうか……?
「そのことだが」
と、ユナ……Y氏。
「これはあくまで噂だが……護衛任務は別の方が代行されているとか……」
「別の……?」
一瞬まさかと思い……次に思考が一つの顔に辿り着く。公が誰かに陛下の護衛を任せるとすれば、その相手は一人しかいないではないか。
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勤勉で実直、生真面目な性格ながら直情径行の気があり、少々……いやかなり危なっかしい。一言でいえば、青い。
部下の間でひそかにそう評されているオーディス王子も王位継承の儀式を巡るいきさつから公に師事し、日々指導を受けてきたと聞く。
「ご自分の果たしてきた使命をあの方に任せても良い。公がそう思われたなら、我々の未来は明るいことになるが……」
さすがにどうかな、とY氏は苦笑した。今回のことは一種のテストのようなものだろう。自分が留守の間、大過なく務められるかどうか。少しずつ経験を積んでいけ、というわけだ。親心である。
「防衛成功だ! よくやってくれた!」
総帥が同盟軍の戦果を讃える。どうやら今日の防衛戦は無事、成功したらしい。
もう一つの戦果がどうなるかは後のお楽しみということにして……私は記録員としてのレポートと、追加の覚書を上官に提出した。
彼女はそれをさらりと流し読みすると「まあ、よかろう」と頷いた。
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これにて本日の任務完了である。ほっと胸をなでおろす暇も無く、
「こちらは無用」
ひらりと突き返されたものがある。追加の覚書だ。
レポートとは別に私が書き加えておいたもので、各軍団の特徴や注意点、初心者が心がけるべきことをまとめた、ちょっとした指南書である。
「新規入隊者向けの教本としては使えるかと思ったのですが……」
「……あのな」
Y氏はぴしゃりと言った。
「この手のノウ・ハウ本は確かに役に立つ。便利ではあるだろう。だが、いきなりこれを突きつけられた新人兵士はどう思う?」
腰に手を当て、首を傾ける。Y氏の体格は私よりかなり小柄だが、その視線は遥か高みから私を見下ろしていた。
「こんな約束事がある。これを守らなければいけない。誰かの決めたセオリー通りに行動しなければ迷惑になる……防衛軍を、そんな窮屈な場所だと思わせたいのか?」
ぎくりと私の胸が鳴った。それは……私が何より嫌うことだったからだ。
「第一、お前自身はどうだ。初めての戦場に右も左もわからぬまま、飛び込んだはずだろう」
答えるまでもない。彼女が手にしたレポートに全てが記録されている。
「そこであらゆる事態に遭遇し、いくつものミスを犯し、悪戦苦闘しながら自分なりのセオリーを組み立てていったはずだ。その過程を体験する権利を、彼らから奪おうというのか?」
ぐうの音も出ない。私は床を見つめた。よく磨かれた床に私の影が映っている。うすぼんやりとした影だ。
「だから、これはお前が持っておけ。特に請われた時だけ、見せることを許可する」
彼女はにやりと笑った。まだまだ未熟だぞ、と言われた気がした。
どうも、まだまだ視野が狭かったらしい。ありがたい説教と共に私は覚書を受け取った。総帥Mは莞爾として頷いた。
耳ヒレを掻きながら背を向けると、別の報告にやってきた記録員とすれ違う。軽く肘でつつかれた。聞かれていたらしい。苦笑を返しながら私は再び本部を見渡す。今日も多くの冒険者がこの地を訪れる。
グレイカラーの新人兵からレッドショルダーのベテランまで。全ての冒険者が共存できる場所をつくるために。
アストルティア防衛軍本部は、今日も忙しく業務を続けるのだった。