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荒波が岩をうつ。白い飛沫がごつごつとした断崖の表面を舐めて、さらりと滑り落ちる。濡れた岩肌は陽光を照り返し、黒く艶めかしい輝きを放つ。
その輝きを、再びの荒波がかき消し、白く染める。
何千、何万、何億と繰り返された景色を、飽きもせず今日も繰り返す。吹き抜ける潮風はやや冷たく、ヒレの先にちくちくと響く。同じ海でも柔らかな南風の吹くウェナの海とはいささか趣が違っていた。
ここはマデ島。レンダーシア内海、エテーネ島の北西にぽつんと佇む小さな島である。
いつの時代のものとも知れない古い遺跡と、小さな修道院の他に人工のものは何一つない。黒い岩肌と慎ましく茂った草木、そしてひっそりと暮らす世捨て人の群れ。ここは隔絶された世界。時代に取り残された島である。
だが今、静かに眠るこの島の時間をけたたましく揺り動かし、夢の底から掘り起こそうとする者達がいる。
何を隠そう、我々である。
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私の名はミラージュ。ヴェリナードに仕える魔法戦士である。数日前から、王立調査団の発掘調査を護衛する任務でこの島を訪れている。
ここ数か月、マデ近海では失われた古代エテーネ王国に関する出土品が続出しており、考古学界を騒がせている。調査団の面々もこの流れに乗り遅れるまいと息巻いてここに乗り込んできた、というわけだ。
各方面から認可を得るため、色々と苦労もあったのだが……その解説は後に回そう。
ともかく、発掘調査である。発掘と言っても掘るのは土ではなく水。素潜りの得意な者を雇い、水没した遺跡から目ぼしいものを拾い上げる作業だ。レンダーシアの学者達を苦しめた水の壁を正面から打ち破る。海の民ウェディならではの荒業である。
海面に伸びたロープが二度、強く揺れた。合図だ。調査員たちが息を合わせて引き上げる。潜水していた若いウェディが顔を出す。少し遅れて、右手に抱えた土産物……どっと歓声。どうやら、本日最初の成果が上がったようだ。
「私達にとってここは宝の島ですよ」
瞳を輝かすのはキンナー調査員。フィールドワーク好きの調査員で、フットワークの軽さを身の上としている。ダンスも得意で、事あるごとにクルクルとステップを踏む、変わった男である。
潜水者が遺跡から持ち帰ったのは、小さな石板だった。文字が刻まれている。キンナーが早速飛びつき、解読にかかる。並行して次の潜水者が飛沫を上げ、暗い海底へと潜っていく。腰に巻いたロープが文字通り命綱だ。
私は周囲に魔獣の類がいないことを確認しつつそれを見守る。彼らに危害を加える者が現れたなら、即座に排除するのが私の仕事だ。
……と、頭上を影が覆う。続けて力強い羽ばたきの音。私は空を見上げて片手を振った。飛竜ソーラドーラ。我々の移動手段であり、空の守りである。
一人と一匹。慎ましくも、これが調査隊の全戦力だ。これ以上の戦力投入は許されなかった。他任務との兼ね合いもあるが、主に外交的要因によるものである。
背後の崖の上では古く、しかし清潔感のある修道院の白い壁が、陽の光を照り返していた。
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時代に忘れられてもいい。静かな眠りのまま、そっとしておいてほしいのです。
修道院を取り仕切るマザー・リオーネの真っ直ぐな視線が照り返しの陽光と重なり、私の瞳をさした。
あの修道院は、様々な理由で世を逃れてきた女達の駆け込み寺。歴史的発見によりこの島が世界の注目を浴びるようなことになれば、彼女らの平穏は脆くも崩れるだろう。
事前交渉に赴いた私が調査隊派遣の話を切り出した時、マザー・リオーネは静かな、しかし厳しいまなざしでじっと私を見つめたものである。
身を寄せあう、傷ついた女達の島。学者達が知的好奇心という刃で厳重に巻かれた包帯を無邪気にはぎ取り、傷跡を白日の下に晒すのだとしたら……
交渉は難航した。結局、派遣規模を最小限に抑えることでなんとか了承してもらったが、我々が招かれざる客であることに違いはない。仮設テントが風に揺れる。修道院に迷惑をかけないのが絶対条件だ。
一応、寝泊まりのために宿舎を貸そうという申し出はあったのだが、作法通りに遠慮させてもらった。マザーは申し訳なさそうな顔をしたが、瞳の奥に浮かぶ安堵の色は隠しようもない。お言葉に甘えて、と乗り込んでいったら良い迷惑だっただろう。そこは外交を知る者同士、阿吽の呼吸である。
今回の調査隊派遣は、そうした微妙な関係の上に成り立っている。
マデ島の平穏を乱さない程度に"ほどほどの"成果が上がってくれるのが一番なのだが……
等と私が物思いにふけっている間にも、調査は進んでいた。再びロープに合図が出る。調査員達が縄を引く。
事件は、そこで起きた。