潜水者からの合図を受け、調査員たちが一斉に縄を引く。と、それが一斉にひっくり返る。勢いよく海面から飛び出したロープの先に、潜水者の姿は無い。
一瞬、誰もが呆けたように宙を見つめた。命綱がむなしく空を舞う。キンナーの顔が青ざめた。綱の先端が、無残にも千切れているのがわかった。荒縄を切り裂く、鋭利な切れ口。
誰かが悲鳴を上げる。十中八九……!
「魔物か!」
「ミラージュ!」
呼ばれるより早く、私は上着を脱ぎ捨て、海に飛び込んでいた。
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飛沫が舞う。泡の群れが通り過ぎると、ぞっとするほど深く暗い青の世界が姿を現した。続いて、遺跡が見え始める。水没遺跡は塔のような形状で、私は屋上のさらに上を漂う奇妙な自分の姿を発見した。一瞬、空の上を泳いでいるかのような錯覚に陥るが、唇の端から伝わる塩味がそれを明確に否定する。物言わぬ人工物と、波に揺れる海藻、そして幾重にも重なった水と光の織りなす景色は絶景と呼ぶに値したが、今の私にそれを楽しんでいる暇は無かった。
周囲を見渡す。捜索の手がかりはすぐに見つかった。明確な目印があった。全く嬉しくない目印が。
水中に伸びる、赤黒い煙のようなそれは、水没遺跡の塔の一角に続いていた。血! それも軽傷とは思えない出血量である。私はヒレを揺らし、水中を突進した。前方、激しく泡が上がった。水流が乱れる。塔の壁の裏側、何かが争い合っている。
私は剣を銛のように構えて踊り出た。まさにその瞬間、大きく顎を開いた怪魚が、若いウェディの頭に牙を伸ばしていた。シャークマンタ! 非常に珍しい海の魔物だ。翼のように広がったエイのヒレと、サメの牙を併せ持つ。獰猛である。
間に割って入り、入れ替わるように剣を突き出す。餌にありつけると思った怪魚の口に、鋼の味が染みわたる。喘ぐ!
私は貫いた剣を引き抜かず、そのまま炎の理力を流し込んだ。熱された刃が海水と反応し、激しく泡立つ。そしてそれ以上に、熱塊を突き立てられた怪魚は身を泡立てて痙攣した。
更に剣を押し込む。逃すつもりはない。ちらりと横目で見た若者の容体は決して軽くない。息も、どれだけ残っているだろう。いくらウェディが海の民とはいえ、溺れるときは溺れる。化け魚と水中戦を繰り広げている暇はないのだ。
暴れる巨大魚を制すること数秒、ついに怪魚は動きを止めた。私は剣を引き抜き、若者の身体に手を回す。若者は苦しそうに薄目を開けて、肩のあたりを指さした。二の腕を噛まれたらしい。出血がひどい。私は応急的に肩口を縛り、すぐさま浮上にかかる。血の匂いはさらなる魔物を呼ぶだろう。そうなっては今度こそ命取りだ。
血の帯を引くようにして、ウェディの身体が海面を目指す。背後では水没遺跡が血の色に覆われ、黒い闇の底に沈んでいった。海流の彼方に獰猛な殺人エイのヒレがいくつも見えた。早くもお出ましだ。しばらくの間、この海域は彼らの庭となる。
調査は打ち切られるだろう。