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それからしばらく、彼女は口を開かなかった。何か遠い、とても遠いものに思いを馳せているように見えた。こんな時、私はこの年老いた修道女の姿に近寄りがたい神聖さと高貴さを見る。触れてはいけない何か。厳重に鍵をかけた宝石箱か、あるいはパンドラの箱か。
「ところで」
と、彼女は突然に私の目の前に戻ってきたようだった。
「前にご一緒していらした可愛らしいお連れさんは?」
「……リルリラのことですか」
意表を突かれて一瞬、返答が遅れた。リルリラは私の相棒で、エルフ族の僧侶である。以前、私と共にここを訪れたことがある。
「あれは別の用事がありまして……」
目をそらして私は誤魔化した。実のところ、彼女に別の用などない。それどころか、この任務が決まった時、私は彼女に同道を願い出たのだ。女であり、僧侶でもある彼女ならば修道院との交渉にも融通が利くと思ったのである。
だが彼女は良い顔をしなかった。
「あそこ、苦手なんだよね」
彼女がそう言うのには、わけがある。
少々、話は変わるが……。
修道院にはいくつかの決まり事や習わしがあり、そうした決まりをまとめたマザー・リオーネ直筆の本が本棚に置かれている。
その一節を抜き出してみよう。
『人恋しくなる時があっても、後輩の修道女におイタをしてはいけませんよ』
……この一文をどう解釈するかはお任せするが……。世間から、あるいは男達から逃れてきた女たちが身を寄せ合って暮らす孤島。こうした閉鎖的コミュニティは、ある種の……(コホン!)そう、ある種の文化が生まれる土壌としての条件を満たしていると言えるのである。
そしてリルリラは、自らが文化的興味の対象となることを恐れた、としておこう。そういうことである。
「お元気なら何よりです。旅の仲間は、大事にしてくださいね」
「ハ……」
彼女も若いころは方々を旅したと聞いたことがあるが……いや、よそう。ご法度だ。
マザー・リオーネは軽く頭を下げ、去っていった。
窓の外ではまだ、ソーラドーラが霜降りミートと格闘を続けていた。