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それから数日。水没遺跡近辺は未だ魔物の活動が活発である。これが静まるのを待つうちに、マデ島への滞在期間は過ぎ去ってしまうに違いない。
怪我人の容体のも安定し、我々調査隊としては引き上げる頃合いと言えた。
「あと一歩なんですがねえ……」
キンナーは未練のこもった眼差しを海流に向ける。白波は外界の騒ぎをよそに今日も岩肌を舐め、寄せては返す。
彼らは島に滞在する間、出土した遺物の解析をあらかた終えてしまった。中でも興味深いのは、エテーネの建国王、レトリウスの歩みについて記された石碑だ。
「あの自称大学者の鼻を明かしてやれると思ったんですが」
キンナーが頭を掻く。彼が口にしたのはレンダーシアの大学者フィロソロス氏のことだ。エテーネ王国研究の第一人者として知られている。レトリウス研究は彼のテリトリーである。
「あと一つ、間を補う石碑が見つかれば完璧なんですよ」
「ま……そんなものさ」
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同じ愚痴を聞くのはこれで何度目か。あと一歩を阻む海は静かに、波しぶきを投げてよこした。いつだって、海の世界は近くて遠いものである。
とはいえ、調査が無駄だったわけではない。少なくとも、建国王レトリウスの出自の一部は明らかになったのだ。
「マデ氏族出身の若者レトリウス。数々の武勲を上げて領土を広げ、やがて王となる……か」
「ええ」
キンナーは頷いた。と、いうことはこの島こそはエテーネ王国発祥の地ということになるではないか。学者たちの興奮もむべなるかな。
「だが、こんな小さな島からどうやって領土を広げたんだろうな。船を使うにしても、エテーネ島は大分遠いだろう?」
「ああ、そのことなら……」
キンナーは顔を上げ、得意のステップでクルリと回った。
「説明しましょう!」
この男の癖だ。
「石碑の一つにこういう記述があります。ある洞窟で旅人を救ったレトリウスは、4つの山を越えてマデ氏族の集落に彼を運んだと……つまり、彼は船は使わなかった!」
もう一つクルリと回る。
「レトリウスが開拓し、支配した領土はこの周辺に広がっていたのです!」
「待ってくれ、キンナー。どの周辺だって?」
内海の孤島。高所から見渡せば全域を一望できてしまうほど小さなマデ島。周辺に広がるのはただ海だけではないか。
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「ミラージュ。その答えは、あの遺跡ですよ」
ザッと地を踏みしめ、彼は水没遺跡を指さした。海。沈んだ塔。
「結論を言いましょう! エテーネ王国は海の底に沈んだのです! そして発祥の地であったマデ島……いえ、マデ高地、それともマデ山地か……そうした地域だけが今もその姿をとどめているのでしょう!」
興奮気味にキンナーはまくしたてた。水没したのはあの遺跡だけではない、と。
波が照り返す陽光に目がくらみ、頭がクラクラと揺れる。途方もない話だった。
「だが、物証は……」
「そう、ありません。あくまで推測です」
だからこそ、もう少し調査を続けたかった……と、キンナーは無念を吐露する。
私は少し身を乗りだし、波の間を覗き込んだ。
5000年の昔、この海の底にある大地で、一体どんな人々が、どんな日々を過ごしていたのだろう。そこにはどんな物語が……。考古学者者がロマン主義に取りつかれるのも分かる気がする。ヒストリーとはストーリーである。
報告用と称して調査記録を読み進める私も、彼らと同じ気分に染まりつつあるようだ。