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冷たい波がざざめくレンダーシア内海沿岸。今は遺跡と化した古い港町の中央に、雄々しくそびえ立つ巨塔がある。海洋貿易で栄えた古代リンジャハル文明の象徴。リンジャの塔と人は呼ぶ。
時の権力者達はこの塔から海を見下ろし、あらゆる物資の流通を支配していたという。
だが今、この塔は一人の"女王"の支配下にある。
そう、半月ほど前から……少なくともあと一年は、女王だ。
そして私はヴェリナードからはるばる、女王の元へ拝謁に参上した魔法戦士、というわけだ。
「少し遅くなったがアストルティア・クイーン選挙優勝おめでとう、ヒストリカ博士」
軽い祝辞とお義理の花束を持参した私に、女王は妙に自嘲的な笑みを返した。
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「フッ、ミラージュ……キミもか」
そして首を傾げた私を尻目に片手で顔を覆い、そのまま塔の天井に向けて高笑いを始めるのだった。
「キミも私を笑いに来たんだな! いいだろうラフアットミー! キング・オブ・クラウン! 哀れなピエロを!」
ヒステリックな笑いが塔にこだました。私の隣で赤いレンズが困惑したように点滅を繰り返す。ブルーメタルボディの奥で円盤が回転するような音が鳴り始めた。キラーマシーンのジスカルドは情報分析を得意とする優秀なロボットだが、さすがにこの状況は把握しかねたようである。
私はヒストリカの傍らに佇む小さな人影に救いを求めるような視線を投げた。博士の助手を務めるクロニコ少年は肩をすくめて首を振るのだった。
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世界各地より集められた美女達の中からナンバーワンを決めるクイーン選挙。ヒストリカ博士はそこで見事一位を獲得し、女王の座を手にしたのだが……
「まさかあそこに5000年前の時代の生き証人がいたなんて!」
拳を机に叩きつける。書類が吹き飛び、クロニコがため息をつく。
選挙の会場、ショコラフォンテヌ城には祭神ファルパパの神通力により、生死も歴史も超えて美女たちが集められる。時には天国から、時には過去から。時を司るエテーネの力とやらも、この出鱈目さを前にしては児戯に等しい。
そしてどうやら先日のクイーン選挙では、古代エテーネ王国の住民が三名ほど召喚されていたらしいのだ。
しかもそのうち一人は、リンジャハルに渡航した経験もある歌姫だったとか…。リンジャハル研究をライフワークとするヒストリカ博士にとって、またとないチャンスだったわけだ。
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「気付かなかった……祭りの華やかさに舞い上がって、クイーンの座に浮かれて…ふふ…ふはははは……」
ヒストリカの腕が痙攣したように震えだす。
「これでわかったよ。全てトラップ! あれはクイーンというスイートワードに惑わされ、研究者としての本分を忘れた私を笑いものにするための企画だったんだ!」
舞台役者さながらに両手を広げ天を仰ぐ彼女に、私とクロニコは揃ってため息をついた。ジスカルドは呼吸をしない体が幸いしたらしい。
「よくそこまでねじ曲がった解釈ができるな……」
「いや、本当は違うことはわかってるんだが」
けろりと彼女は振り向いた。拍子抜けの空気が塔を抜けていく。
「悪い方に解釈した方が気が楽というか……良い方に考えてがっかりするより、悪い方に考えてホッとする方がマシだろう?」
「ペシミストの本音か」
ま……気持ちはわからんでもないが。
「まあ、そういうことでお嘆きなら、話を切り出しやすい」
私はジスカルドに命じ、記録を取り出させた。陽電子脳に刻まれた情報をアーマーとボディの間からプリント・アウト。最近、彼が身に着けた特技である。
「ヴェリナード王立調査団が発掘した遺跡に遺された記録と、各地の学者が調べ上げたレンダーシアの歴史を合わせると……こういう名前が浮かび上がってくる」
ジスカルドが吐き出した調査記録を女流学者の前に差し出す。
5000年前、古代エテーネ王国で活躍した人物の記録だ。名は……
「剣士ファラス」
ヒストリカの眼が強い光を帯びた。奪いとるように調査記録を掴む。もう女王も、悲観主義の舞台役者もいない。失われた時を求める、探求者の眼差しがそこにあった。
ファラスといえばリンジャハル文明の崩壊に関する貴重な手記を残した人物の名である。未だ謎に包まれた人物だが、彼女の研究者としての成功は、この手記に助けられてのものだった。ヒストリカの腕が、先ほどとは違った種類の震えで満たされる。
「そしてそのファラス氏だが……」
コホンと咳払いしつつ、別の用紙をプリントアウトする。
無機質な調査記録とは打って変わって、華やかなレイアウト。私はそれを彼女の前に差し出した。
ファルパパ神主催、アストルティアナイト選挙のお知らせ。
「……ホワイトショコラ城に来ていたぞ」
ヒストリカ博士は卒倒した。