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花霞が空を淡く染める。月は強く輝き、地平線をくっきりと浮かび上がらせた。夕焼けと夜の境目、ひと時のしじまが空に幻想的な風景を描き出す。影も濃くそびえるのはリンジャの塔。
ショコラフォンテヌ城で歴史上の人物と語らう機会を逃したヒストリカ博士は、何も無為に嘆きの日々を送っていたわけではない。件の歌姫や錬金術師と語り合った人々の話を元に様々な歴史書を調べ上げ、いくつかの記録に辿り着いた。
この絵も、その成果の一つ。エテーネ王国領、ラウラリエの丘からリンジャハル方面の景色を描いたものらしい。歌姫は、その丘に縁の深い人物だったそうだ。
「没年は諸説あってはっきりしないんだ。このピクチャーが描かれた時期には既に没していた、という記録もあるし、もっと後の時代に酒場で歌を歌った、という記録も残ってる」
「まるで歌姫が二人いたみたいだな」
「うん。別々の人物の記録がごっちゃになってる可能性もある」
私はジスカルドに記録を取らせつつ、彼女の調査メモを熟読した。よく調べ上げたものである。
「こちらは錬金術師の方を調べてみた。ジスカルド」
キラーマシーンは調査記録をプリント・アウト。王立調査団の研究成果を女流学者に手渡す。情報交換だ。
エテーネ王国は錬金術で栄えた王国。街にも錬金術師が店を構え、農業、医学、料理まであらゆる分野でその腕を振るっていたらしい。なんでも、魔法生物と呼ばれる特殊な生き物を生み出す力すらあったとか……
「これはそんな錬金術師の一人が残した日記、だそうだ」
「ひょっとして、ショコラフォンテヌ城に来ていた彼女か!?」
「いや……調査員達は男性のものだと言っていたから、違うだろうな。歴史に名を残したような人物ではないらしい」
「そうか……」
日誌の内容は、件の魔法生物について、である。
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「最近では魔法生物に感情を持たせてペットのように可愛がる錬金術師が増えたが、愚かなことだ。彼らはただの道具であり、不要となったら処分すべき存在に過ぎないのだ……か。なんというか、割とクールな意見の持ち主だな」
女史の感想は、私と同じだった。
「しかし、合理的な意見です。彼らは、人の役に立つために作られたのですから」」
これまで無言だったジスカルドが口を挟んだ。ヒストリカは困ったような視線を私に向けた。彼はロボット。魔法生物と同じ、被造物である。
「君らしい合理的な意見だ」
と、私はその相手を引き受けた。
「しかしジスカルド。人はロボットほど合理的にはできていない。それが問題だな?」
「はい、ミラージュ」
モノアイが肯定した。
「とても複雑な問題です」
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そう、複雑だ。人はロボットという合理的な存在を生み出すことができるにもかかわらず、自らは非合理的な生き物であることを決してやめない、奇妙な習性を持つのだから。
この記録を残した錬金術師もまた、そんな複雑な心理を持つ人間の一人である。
ヒストリカはページをめくり、そこで手をとめた。次のページには、こう書かれているはずだ。
……単純な機械のような魔法生物でさえ、処分する時には心が痛む。まして感情を持った相手をどう処分できるというのか。それがわかっていて魔法生物に感情を持たせるなど、考えられない。
ヒストリカは変人だが、情の深い女だ。少し潤んだ瞳を宙に泳がせた。
「……きっと、一流の錬金術師だったんだろうな」
「そう思う」
私は頷いた。
「君はどう思う、ジスカルド」
「私は人間を評価できるようには作られていません。しかし、誠実な人物であったことは間違いないでしょう」
「フム……」
「しかしミラージュ。不思議です。何故、誠実で一流の人物であるにも関わらず、彼は歴史に名を残せなかったのでしょうか」
「それはな、ジスカルド」
私は肩をすくめた。
「人の歴史は、過ちの積み重ねだからさ」
ヒストリカは最後のページをめくり、そして眉間にしわを寄せた。そう、私と同じように。
そこには、禁忌の錬金術を示唆する言葉が記されていた。