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夕暮れ時の太陽が雲海に沈む。少年はそれを静かに見下ろしていた。
雲を貫き天を摩する巨塔の最上階に安置されているものと言えば、無骨な石造りの棺が一つ。記憶を蓄積する薄緑の水晶柱が一つ。
そして禍々しい紫紺の妖気を放つ水晶石が一つ。
太陽はそれらを素通りして雲の中に消え、やがて暗闇が聖廟を覆った。
静かな夜だ。あまりに、静かな。
少年は名残惜し気に夕焼けの残光を目で追い、やがて忌々し気に紫紺の水晶を見た。周囲には誰もいない。……私以外は。
「閑古鳥もこの高さまでは飛んでこられまいと思ったが、案外、根性のある連中だったらしいな」
「分かりづらい言い回しですね、ミラージュさん」
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ユリエル少年の表情は苦い。
ほんの一か月前、ここは大勢の冒険者で賑わっていた。あの紫水晶を通して、魔祖の血族と呼ばれる強大な敵との戦いに挑む現代の聖守護者たち。この聖廟は彼らの待合室だった。
だが彼らの多くは魔祖の者どもの理不尽とも思える猛攻に辟易とし、二度とこの場所に近寄らなかった。
勝利した者も、そう何度も彼らに挑もうとはせず、自然と去っていった。
それもそうだろう。私も友人と共に挑戦を重ねたが、勝つにせよ負けるにせよ、消耗が激しすぎる。そして何より、敵の攻撃が激しすぎるのだ。
普通、戦いにおいては敵に倒されぬよう、守備を固めたり陣形を整えたりして、上手く立ち回ろうとする。それが戦術というものだ。
だが、この敵にはそれが通用しない。猛攻を食い止めるすべがないのである。
結局、一撃で倒され、立ち上がり、また倒されて……それを繰り返す戦いとなる。地面に這いつくばるのが好きな冒険者は、そう多くない。
「余程のもの好きでもないと、挑み続けるのは厳しいだろうな」
「貴方のような、ですか」
少年は肩をすくめた。
実際、物好きと言うべきだろう。わざわざ魔法戦士としてこの戦いに挑むというのは。
まして、共に闘う仲間が酒場で雇った冒険者達であれば、なおさらである。
「幸い、今日の相手は本調子ではないようですが……」
「それを知ってるから来たんだ」
敵が本調子だった場合、友人の力を借りてさえ、勝てたためしがない。酒場の冒険者ではまず無理だろう。
だが今日は封印の力が強く作用しており、敵の力は最小限に抑えられている。今ならば、あるいは……
「何か策でも?」
「一応の用意はしたが、実戦はどう転ぶかわからんからな……戦いながら考えるさ」
私は雇った仲間たちを手招きし、そっと水晶に触れた。
景色が歪み、意識が一瞬、途切れる。そして私は水晶の吐き出す紫紺の瘴気の内側にいる自分を発見する。夢の中にいるような非現実感。腰に帯びた剣の重みだけが、これが幻でない証拠だ。
足音も立てずに、紫紺の霧の中を進む。
冥骸魔レギルラッゾと獣魔ローガスト。冒険者達を阿鼻叫喚の渦に叩きこんだ二匹の魔物が、我々を待っているはずである。