
桜舞うカミハルムイの町はずれ。人気のない荒れ地の一角で、エルフの娘がスッと腕を持ち上げた。
スソの広がった白拍子の袖がその後を追うように動く。娘は小さな口に大きく息を吸い込み、鋭く声を発した。
「イクタマ!」
掌がくるりと天を向く。その上に、白く輝く球体が浮かび上がった。
エルフは逆の手を地に向け、再び声を放つ。
「タルタマ!」
黒く淡い球体が掌と地面の間に出現する。
彼女はゆっくりと円を描くように両手を動かし、二つの玉を胸元へと引き寄せた。反発し合う力が飾り帯をざわつかせる。撫でるように二つの玉をすり合わせていくと、白と黒が勾玉のような陰陽図を描き始めた。
「タマトマルタマ!」
陰陽球が複雑な色の閃光を放つ。エルフはそれを頭上に掲げると、紫紺の袴を一歩前に踏み出し、気合と共に振り下ろした。
「フルベ! ユラユラトフルベ!」
叩きつけられた勾玉が地を揺らし、閃光は稲妻となって天へと昇る。エルトナの風水と陰陽を司る天地雷鳴士の使う術の一つだ。
エルフは滴る汗を拭き、息をついた。私は労いの拍手と共に歩み寄った。
「天地雷鳴士の独特の呪文詠唱にも、大分慣れてきたみたいだな」
「祝詞っていうんだよ」
「ノリトか」
エルフは大きく伸びをしながら私を見上げた。頭に着けた鈴飾りがコロリと音を鳴らす。

彼女の名はリルリラ。僧侶を本職としている。私の旅の相棒とでも呼ぶべき存在だが、実家の手伝いのため、最近は別行動をとっていた。
リルリラは袴をはたき、汚れを落とす。こうして伝統衣装を身にまとうと、普段は重厚さの欠片もない彼女にも歴史の重みが宿ったように見える。馬子にも衣装とはこのことか。
彼女の実家は、カミハルムイで代々王家に仕えている神官の家系である。同じく王家に仕える天地雷鳴士の一族が大きな儀式を行うというので、彼女はその手伝いに狩り出されたというわけだ。
だが…天地雷鳴士を代表する二大派閥、陰衆と陽衆の対立に様々な要因が重なり、儀式は大事件に発展したのだという。
「ま、結果的には友達も増えたし、天地雷鳴士の技も教えて貰えたからいいんだけどね」
エルフは軽くまとめた。新しい「友達」の写真も見せてくれた。リルリラと似たような装束を身にまとった少女が二人……何を隠そう、この二人こそが陰衆、陽衆それぞれの頭領である。
「聞いてはいたが、随分と若いな」
「うん」
「鬼神を呼び寄せてしまったというのが、こっちの……」
「ヨイちゃん」

陰衆というだけあって、なるほど、影を帯びた顔をしている。挑発的な瞳に不敵な笑み、そして折れそうなほど細い身体。
この細い胸の内に、相当な闇を抱え込んでいたらしい。色々とあって事件は解決したと聞くが……少々心配だ。
「私はアサヒちゃんの方が心配だけどね」
リルリラはもう片方の写真をつまみ上げた。桜色の髪、天真爛漫な笑み。陽そのものといった表情だ。私は首を傾げた。

「活発そうな少女だが……」
「どっちかっていうとね、闇が深いのはアサヒちゃんだと思うの。いい子すぎて……不安になっちゃう」
エルフは深く瞳を閉じた。彼女は一見すると軽薄に見えるが、人を見る目は確かである。
「そういうものか」
「うん」
リルリラは頷いた。
「ゆーえーにー!」
と、突然彼女は拳を突き上げた。誰の真似だ?
「たまに技を教わりに行って、ついでに愚痴も聞いてあげようかなー、って。まあ、余計なお世話かもしんないけどね」
「それで衣装も新調か」
上衣を白に、袴を紫紺に染めたこの衣装は中庸を表わすのだという。陰と陽の間。
思えば彼女にはそういうところがある。
私が感情的になった時は薄情なくらい冷めた台詞を吐き、理屈に凝り固まった時は感性だけでものを言って私の思考をかき乱す。こういうことを殆ど無意識でやっているようなフシがあるのだ。
根っからの世話焼きというか、少なくとも僧侶としての適性はあるのだろう。
「ミラージュも無茶をやる時は天地雷鳴士を呼ぶことになりそうだって言ってたし、いいでしょ?」
「そりゃ、構わんさ」
尤も、彼女が無茶に付き合えるレベルに達するのはいつのことやら、だが。
「ところで」
ふと私は思いついた。
件の儀式では陰と陽のうち、陰の力が強すぎて均衡が崩れ、災いを振りまく鬼神を呼んでしまったのだという。ならば……
「陽の力が強すぎた場合はどうなるんだろうな?」
「……やたらテンション高い神様を呼んじゃうとか?」
想像してみる。
……どちらにしても、国は乱れそうだ。
「バランス、か」
「大事だよねえ、そういうの」
中庸の衣をまとったエルフは軽く小石を蹴り、帰路についた。
私は赤い羽根帽子を被り直し、その後を追いかけるのだった。