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夏の太陽が雪道を照らす。溶けかけた雪がぬかるみとなり、街道を汚した。歩くには厄介な道となったが、それ以上に悪鬼の痕跡が溶けて消えてしまうのが問題だった。急がねばならない。多少の強行軍はやむを得ない場面だった。
ランガーオからグレンへ。我々は街道を南下する。時折立ち止まり、周囲を探索する。悪鬼の足跡や破壊の跡を探るためだ。雪が地面ごと大きくえぐれているような跡は無いか。不自然な倒木は無いか。
普段は我が物顔で雪の上を跳ねているはずのスライムやいっかくウサギが妙に大人しい……そんな時は注意が必要だ。突如現れた外敵を恐れて身を潜めているのかもしれない。つまりは、ゾンガロンを。
山地を半ば下ったあたりで従者の一人が奇妙な痕跡を発見した。乱れた雪、争った形跡、血の跡……しかし死骸はどこにもない。普通ならば謎の痕跡というべきだが、伝説の悪鬼を相手にする限り、不思議でも何でもない。……とは、エリガンの見解だ。
「悪鬼ゾンガロンは獲物を丸呑みにして喰らうのを好んだらしい。おそらく、この痕跡も……」
1300年の空腹を満たしながら、悪鬼はゆっくりと人里を目指しているのだろう。
グレンに早馬をやり、注意を促しつつ我々は探索と追跡を続ける。我々魔法戦士団もこの手の調査はお手の物だが、野外での追跡ならばレンジャーの方が一枚上手だ。次に街に立ち寄った時にでも雇うことにしよう。
太陽に照らされ、ぬかるみに脚を取られながらも街道を往く。愚痴の一つも言いたい悪路だが、エリガンによればこれでも昔よりは歩きやすくなったのだそうだ。
と、言っても彼の語る昔とは、1300年前のことなのだが……。
今のように開拓される前のランガーオ地方は木々の生い茂る森のような場所だったらしい。降雪も今より激しく、雪の積もった枝を屋根として、それを潜り抜けるような細い道が森を貫く。ちょうど今のラギ雪原のような光景があたり一面に広がっていたのだそうだ。
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「ただ、当時は舟がでてたらしい。そういう意味では行き来は楽だったのかもな」
ランガーオ山地の南東部にダズの岩穴、と呼ばれる洞窟がある。名の由来すら定かでないこの岩穴はかつて地下水脈を利用した連絡船の発着場だった、というのが彼の提唱する学説だ。
「俺の調べたところによると、オルセコからランガーオまで、貿易船がたびたび行き来していたらしい」
彼の説が正しいとすれば、1300年前のオーガ達はほぼ大陸外周を一周して最北から南端へと行き来していたことになる。それも、地下水脈を潜り抜けられるような小舟で……
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学の無い私にその真偽は図りようもないが正直なところ、信じがたい話である。
私が疑問を口にすると、青年はムスっとした表情でそっぽをむいた。
「疑うのも当然だろうな。だが無から記録は生まれん。1300年前、この記録の元となった何かがあったはずだ」
どうやら機嫌を損ねたらしい。私は気難しい学者殿をなだめながら歩を進めた。
オルセコ王家の血を引くと自称するエリガンは、自身のルーツを探るうちに考古学に心を奪われ、考古学者になったという変わり種である。無名だが古代オルセコ研究に関しては既に第一人者と言えるだけの知識を持っている、とはギュランの評だ。
古代オルセコ王国。今から約1500年前、オーグリード南部に勃興し、1300年前のゾンガロンの跳梁を退け、1000年前の不死の魔王の侵攻にも耐えきったものの、その後100年程度で滅亡したと伝えられている。今のランガーオに劣らず武芸が盛んだったらしく、世界各地より勇士を集めて競わせたという大闘技場は数少ない古代遺物として現代にも遺されている。以上、学者殿の受け売りだ。
その起源や滅亡の原因にも興味はあるが、今のところ重要なのは1300年前の部分である。
オルセコ王国はゾンガロンとの戦いを経験している。ならば古代オルセコに関するの知識はゾンガロン追跡の役にも立つのではないか。
そういうわけで、彼はギュランから依頼を受け、我々の旅に同行している。
「……あくまで研究のためだ」
とうそぶく彼は、どうやらシャイなタイプらしかった。
やがて雪は徐々にその姿を消し、荒々しい大地がその下から顔をのぞかせはじめる。
我々は、最初の中継地点へとたどり着いた。