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バンジー屋バジエド。
彼が主催するのは、縄一つを足に結び、ゲルト海峡からジャンプするという正気の沙汰とは思えない遊戯である。
こんなものに挑むのは余程の命知らずか暇人か、さもなくば偽予言者の汚名を晴らそうとするいたいけな少女ぐらいだと思うのだが……
「実は1000年以上の歴史があるのさ」
氏は豪語する。当時この地域に暮らしていた部族の若者が、一人前の戦士として認められるために行っていた儀式が、このジャンプの由来なのだそうだ。
私の故郷でも一人前と認められるためのシェルナーの儀式というのがあるが……オーガのそれは大分、ハードルの高い代物だったらしい。
エリガンが目を輝かせ、握った筆に力をこめる。更に詳しいことを聞きたがるエリガンにバジエド言った。百聞は一見に如かず、と。
……で、私が飛ぶことになった。
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エリガンは熱心にメモを取る。
何かがおかしい気がするが、頭に浮かんだ疑問符と私が格闘している間に、脚にはロープが結ばれていた。
「3、2、1……」
私は慌てて帽子を預けた。他にやるべきこともありそうなものだが、咄嗟の時というのはそんなものだ。
かくして私の身体はゲルト海峡の夕陽と潮騒の間に投げ出されることとなった。げに流れとは恐ろしいものである。
伸縮する縄と同時に景色が上下左右に引き伸ばされ、激しく揺れ動く。やけに鮮明な波しぶきが次の瞬間には雲に変わり、夕焼けの太陽になり、私の視界は夕陽とともに海へと沈んでいった。
私はバジエドとは初対面ではない。以前、このバンジーに絡んだ事件で、ある少女を助けてもらったことがある。その時のことを思いだせば、彼の仕事の手堅さは十分、信頼できるものである。
……問題は、そんなことは目の前に迫った恐怖を和らげるには、何の役にも立たないという事実である。
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身体と景色が夕陽と海面を何度も行き来し、最後に巨大な岩の塊を正面に捉えて静止した。あれはガミルゴの盾島。500年前のグレン王にして伝説の術師ガミルゴの名を冠した離島であり、オーグリードの歴史にも度々登場する、オーガの象徴的な島である。
だがそんなことはもはやどうでもいい。ゆっくりと引き上げられる縄につるされ、私は降ってわいた災難が無事終了したことに安堵のため息を漏らしていた。
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一方のエリガンは更に詳しい解説をバジエドから引き出していた。1300年前、この地に住んでいた部族は女戦士だけで形成された部族だったとのことだ。
「女だけの部族なのに……いや、女だからこそ、男以上の勇気を示す必要があったんだろうな」
エリガンは頷いた。確かにこのジャンプには相当の度胸が必要だ。それは私が証明しよう。ああ証明しようとも。
恐怖が鳴りを潜めると、怒りがこみ上げてきた。これでは戦闘のたびにテンションが上がってしまいそうである。まったく、学者の知識欲にも困ったものだ。
だがその勇気ある女戦士達にもやがて苦難の時が訪れた。
約1300年前、ゲルト民族は南方より押し寄せた民族から襲撃を受け、大敗を喫したというのだ。
「そういえば、オルセコ王国の記録に、女戦士の部族と戦った……というのがあった。それがここだったのか」
エリガンの知識とバジエドの情報を合わせて整理すると、当時のオルセコ王はゲルト海峡まで攻め入り、これを大いに打ち破って女族長を召し捕ったらしい。
しかもその有能さに目をつけて国に連れて帰り、そのまま臣下として取り立てたのだとか。
普通、遺恨が残りそうなものだが、女族長はオルセコ王に心酔して忠誠を誓い、王とその息子の二代に渡り仕えたのだそうだ。さっぱりしているというか、切り替え上手というか……あるいはオルセコの王が限りなくカリスマに溢れた人物だったのか。
「それとも、王国にとって都合の悪い事実はあえて伝えていないのか、な」
私は軽く肩をすくめた。オルセコの末裔を名乗るエリガンにはちょっとした皮肉だが、これくらいの意地悪は許されるだろう?
エリガンはその後もいろいろと話を聞きこんでいたようだが、私は今度こそ一足先に眠ることにした。
ゾンガロンの足跡はいまだ掴めないままだ。ひとまずランドンを超えて、ガートラントまで調査を行う取り決めになっている。
まだまだ旅半ば。ここまでの旅と突然のバンジーで疲れた体を休ませてやろう。