酒宴は続き、話も続く。
「ほれ。飲め!」
ワグミカが手元の水を私のジョッキに注いだ。飲まないわけにはいかない。一口、二口……目がくらむ。強烈だ。
ジョッキが台座を叩く。怪しからん水が飛び散り、とろけた空気の中で理性は発酵を開始する。
一言、引き出すごとにワグミカは怪しからん水を口に含み、私もまたその海にのまれていった。
波は踊り、息苦しく、熱と動悸が渦を巻く。見えない海の上をピンクのイルカが踊り始めた。
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「ドミネウスの奴もなあ」
錬金術師の瞳が遠くを見つめ始めた。
「哀れなもんじゃ。才能も無いのに立場だけ与えられて、その上、開き直って逃げることもできん小心者じゃった」
一瞬の虚脱。そして激情は静止したのち、振り子のように戻ってきた。
「じゃが同情なんぞすると思うな! その巻き添えになった連中の方が何百倍も哀れじゃ!」
振り子は大きく弧を描いた後、その端でまたも静止し、やがて緩やかに重力に惹かれ、落ちていく。落ちて、落ちて……
「逃げたら逃げたで……どこへも行けん」
ワグミカはソファの海に沈みこんでいった。
「人生はクソだ! 生きるに値しない!」
ワグミカは寝言のようにむにゃむにゃと呟く。右と、左と、前と後ろ……
「それに斜め!」
「八方ふさがり」
「それだ!」
潜り込む。海は深く、発酵は止まらない。ワグミカがまた喉を鳴らし、私も一口流し込む。喉が灼けるようだ。熱を帯びた胸の奥から、熱い言葉も自然と溢れる。
「仮にそれが真理だとして……鉛が金に変わるなら、人生とやらも金に化けませんか」
「フン……」
ワグミカはとろんとした瞳で私を見上げた。
「世間を騙せば詐欺師だが、世界を騙せれば錬金術師。違いはそれだけ……ぐがぁーーっ!!」
黄金の右手が鉄くずを金に変え、人形を人間に変える。空言は真実に変わり、理性は発酵する。イルカは? もちろんご機嫌だ。
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ピンクのイルカが楽しげに微笑み、天井がぼやけ始めた。私は首を振り、真っ赤な嘘の絵の具で灰色の景色を彩る。本物らしく、繊細に、緻密に、大胆に。いつか真実になるように……誰もがそうだ。イルカもか? イルカもだ!
「お主、よくわからんことを言っとるぞ」
「ン……私、いま何か?」
「酔っとるな」
「少し」
イルカが笑う。
「八方がなあ、ふさがったら、こうじゃ」
がっくりとワグミカの後頭部がソファに潜り込んだ。柔らかな海が重いものを包み込み、顔は天井を仰ぐ。
「ああ、こう、なりますな……」
私もまた見上げた。頭が重い。そうなるだろう?
私の頭上をピンクのイルカが通り過ぎた。照明の光は眩く、ぼやけた視界に光球の群れとなって浮かび上がった。浮遊感。光球は風船だ。身体が舞い上がる気分だ。
「八方がふさがったなら……」
舞い上がるしかない……!
イルカが何か囁いた。
まどろみ……
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「……頭が痛い」
「当然だニャ」
猫魔道のニャルベルトは、冬の海より冷たい視線で私を見下ろした。
あの翌日……いや、翌々日か? 私は自宅のベッドで頭を抱えていた。
ワグミカの怪しからん水がここまで"強い"とは……。
「完全なる二日酔いニャ」
ファルパパの禁を破った代償は大きかった。
「……キアリーを頼む」
「これでも喰っとけニャ!」
肉球が私の顔に押し当てられる。毒消し草のキツい香りが口中に広がった。
「で、取材は上手くいったニャ?」
「……かなり話し込んだと思うが……」
……何を話したのやら。どうも断片的にしか記憶が無い。思いだそうとすると、また頭が……
ニャルベルトが何度目かの溜息をついた。
「酔っ払いの話なんてそんなもんニャ」
「メモはとった」
そう、断片的な記憶が……懐をさぐる。確か書いたはずだ。キーワードだけでも……
「これだ!」
ニャルベルトと共にメモを覗き込む。よれよれの文字がそこに書き込まれていた。
≪"人生は"、"風船"、"舞い上がるしかない"≫
「ニャんだこりゃ」
「……スーパカリフラジリスティックエクスペリアリドーシャス」
どうも、ファルパパの誓約は守られたらしい。
「……寝る」
私はベッドの中に潜り込んだ。
眠りの海が、風船のように私を舞い上がらせていく。
そういえばクイーン選挙はどうなっただろう。ワグミカは……あの様子ではクイーンなど興味も無さそうだが。
彼女の生涯については、いまだ知られていない部分が多い。注目されれば研究も進むだろう。
次に会う時は古代史の中で……。再会と、彼女の上位入選を祈っておこう。
布団の海の中でイルカが跳ねた。眠りの波が、私の意識を押し流していった。