バザールに群がるヒトとモノ。砂にまみれた道に複雑な足跡が刻まれる。
靴跡、鉤爪、肉球の形に、ヒレの跡。
漆黒の瞳を持つ魔族達を筆頭に、悪魔、獣人、ペンギンまで。砂の都を彩る種族種別のアラカルトだ。
彼らのお目当てはちょっと洒落たサテンのショールか、はたまた今日の献立、おつまみか。啖呵売の魔物が声を張り上げるたびに、雑踏が波打って揺れる。
こうして日々の買い物に勤しむ彼らの姿を見ていると、その混沌とした光景にも関わらず、ここがどこなのか忘れそうになる。
ここは魔界。我々にとっては敵地……の、はずだったのだ。
ひと月前、ガミルゴの盾島に突如として現れた魔界軍の侵攻はアストルティア全土を震撼させた。
ガートラント軍を中心とした防衛部隊、そして勇者姫とその盟友の奮闘により辛うじて撃退に成功したものの、勇者姫は負傷。勇者の盟友殿に至っては行方不明。
光と共に降臨した闘戦聖母殿が結界により侵攻ルートを塞いだが、その結界も長くはもたない、とのことである。
ことここに至ってはアストルティア六王国も手をこまねいてみているわけにはいかなかった。
こうして、我がヴェリナードの魔法戦士団をはじめとした各国の精鋭たち、そして自ら志願した命知らずの冒険者たちによる斥候部隊が結成され、盾島を通じて魔界へと潜入したのである。
無論、我々がそのまま入り込めば目立ちすぎる。そこで、防衛戦での各種証言を元に、魔族に偽装する特殊メイクが施された。
協力はサロン・フェリシア。種族変更などお手の物だ。
リルリラの場合、背まで縮んでる気がするが……
「これがメイクの力です」
声は変わってない。
ニャルベルトは元が猫魔族ゆえ、メイクの必要も無いのだが……「魔界の連中に舐められたくニャい」といって瞳をそれっぽく輝かせて偽装している。長時間やると目が痛むそうだ。
当然、不安はあった。私など瞳以外はほぼ変わっていない。これで果たして誤魔化せるものなのか……
だがその不安は杞憂に終わった。
彼らは想像以上に我々と似通った容姿を持ち、言語も同じだった。
とりあえず胸をなでおろした我々は情報収集を兼ねて、この街で働くことにした。魔界三大都市のうち最も人の出入りが激しく、入り込みやすいこの商業都市ファラザードで。
「次は氷を入荷してほしいんだ。なんでも、新しい料理に大量の氷が必要なんだとさ」
「お安い御用です」
私は帽子をつまみ、会釈を返した。この帽子の中には特殊メイクの角が格納されているのだが、かぶってしまえばわからない。
ますます魔族らしくない気がするのだが……誰も気にしないようだ。ここはファラザード。詮索無用の国。来るもの拒まず。出自も、身分も、過去も問わず。
この国ならば行きかう旅人たちが魔界全土の噂話を届けてくれる。アストルティア侵攻を企てたのが、魔界三大都市のひとつ、バルディスタであること。他の二大都市とは微妙な関係を保っているらしいこと。ファラザードの王が、今は留守にしているらしいこと。
そして最近、この砂漠に盗賊団が出没し、物資の運搬が滞っていることを知り、我々は運び屋という仕事を買って出た。これは物資不足に悩む住民たちに大いに喜ばれた。
我々にとっても地理風俗を学び、魔界の情勢を窺うにはもってこいの仕事だった。
「頼りにしてるわよ。根本的な解決にはならないけど、あいつが帰ってくるまでこうやって騙し騙し輸送するしかないからね」
背後から、艶のある女の声が私の背びれを撫でた。印象的な薄紅色の髪をなびかせた女がそこに立っていた。ジルガモット。このバザールの元締めだ。
「せいぜい、今のうちに稼がせてもらいますよ」
「逞しいわね。気に入ったわ」
女元締めは、やり手らしく唇の端を持ち上げた。
「でもそうなると、あいつの帰りが遅いほどあなたには好都合というわけね」
「そうでもありませんよ。私だって王の顔を見てみたい。興味がありますから」
「ふうん……」
ジルガモットは窺うように馬上の私を下から覗き込んだ。そのまなざしは軽やかに見えて、地の底から迫るような迫力がある。
かつては小国の王だったとの噂も聞く。恐らく本当だろう。いわば小魔王。ファラザードの魔王にスカウトされ、傘下に入ったそうだが……仮にも他国の王を部下にするとは、この国の王は相当、破天荒な人物に違いない。
顔を見てみたいという私の言葉は、嘘ではなかった。
「ま、あいつは有能な人材は好きだから、上手くやれば気に入られるかもね」
「なら、ますます張り切りましょうか」
私は馬の尻を軽くたたいた。
魔界の太陽が月へと変わり、輝くサボテンが砂漠を淡く照らし始めていた。