
王の姿は民衆の垣根の向こうに消えた。宴は流れゆき、立ち止まっていた私は自然と輪から外れる。
遠ざかっていく王と、それを取り巻く熱気を外から眺め、私は腕を組んだ。
カリスマ。滲み出る才知と強い意志。アイディアマンで、行動力があり、弁舌が巧みで、腕も立つ。
「ついでにハンサム」
リルリラが肩の上で背伸びした
遠くでは、木箱に乗って何やらのパフォーマンスを行う王の姿に、女たちが黄色い声を飛ばしていた。
「そして適度に間抜け。これは大事だ」
ぐらりと傾き、木箱からずっこける。途端に爆笑が広がる。王は大笑いしながら民衆の手を借り、立ち上がった。
人の上に立つ者は他者から愛されねばならない。隙があるのは、むしろ美点とも言える。
「じゃあ、理想の王様?」
「……どうだろうな」
路地裏から寒い風が舞い込んだ。あの、灰色の感覚がよみがえる。あれは一体何だったのだろう。
あの瞬間、奇妙に才気ばしったイメージが私の中の魔王像を上書きしていった。新進気鋭、ニューリーダー……確かに傑物には違いない。だが、その気質は君主というより、一代にして富を築いた実業家のそれなのではないか?
そもそも、王の資質とは何だろう……。
我が主、ヴェリナードのディオーレ陛下のご尊顔を思い浮かべる。自然と、夫君であるメルー公の姿が隣に浮かんだ。そして次代を担うべきオーディス王子とそれを支えるセーリア様の姿が後に続く。
……王はいずれ、自らに続く次の王を己が内から生み出さねばならない。血縁者に限らず、部下の中からでもよい。
だが、彼の周囲から、次の王に名乗りを上げる者は現れるだろうか?
彼はあまりにも……個として突出しすぎているのだ。いかな人材を揃えようと、結局は彼一人が輝く。それは国の形態としては危うく歪なものだ。
「……一代限りの王としてなら、理想かもな」
それが私の感想だった。
魔族の寿命は長い。齢1000を超える者も少なくない。ならば、それでよいのかもしれない。千年王国を一人で築けるものならば……
……魔天に浮かぶ碧玉が空を混沌の色に染め、駆け足で過ぎていく雲が動乱の魔界を見下ろした。
私が王に抱く危うい印象そのままに、空は蠢いていた。

と、その時である。
宴を貫く硬質な風が吹いた。
顔を上げると、蒼白な顔に眼帯を付けた長身の男が魔王の側にかしずいて……いや、立ちふさがっていた。
途端に魔王の色が薄まり、自然と他の色が戻った。男はツカツカと王に歩み寄ると強面を怒らせて何ごとかまくし立てた。
王はたじたじとなって数歩下がり、男はさらに詰め寄る。奇妙な安心感が沸き上がってくる。

確か、あれはナジーン。ファラザードのナンバー2だ。赤狼組が彼を高く評価していたのを私は思い出した。
カリスマ的な王の下で実務を取り仕切る官僚の長。影の傑物。王佐の才。そういう存在らしい。彼の小言だけは魔王も無視できない。
形は違うが、メルー公のような立場だろうか。
魔界には、組織の鍵は副将が握る、という格言がある。
彼の存在は、ファラザードにとってこの上なく大きなものとなるだろう。
宴の夜はふけていく。魔王はまた遠からず旅立つそうだ。風が吹き、水が流れるように彼もまた走り続ける。
さて、私はどうする?
流れの先を追うべきか、それとも水の源を遡るべきか。
水路をゆく渡し船に故郷を思いつつ、私はしばし、思案に暮れるのだった。