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魔導国家ゼクレス。この国での私の商売は、ようやく第一歩を踏み出しつつあった。
先日の入れ替わり事件の礼として、バルナバス氏が紹介状を書いてくれたからである。
これでようやく商人として門を叩くことが許される。上流階級とのコネこそ、この国では何よりの武器だった。
……とはいえ選民思想に染まったこの国での商売は、やはり簡単なものではない。
「これはファラザードの細工職人がこしらえた、精巧な……」
「フン……砂漠の野蛮人の作ったものなど、見るのも汚らわしいわ」
と、迂闊なものを勧めてもこうなるのが関の山だ。
唯一、売れ筋の商品といえば……
「ほほう、これは見事な出来だな……」
上品なコートを着た、恰幅の良い男が調度品を覗き込んだ。ご満悦の表情だ。精緻な細工が施された銀の置時計は、確かに一流の品である。
慇懃に礼を返しながら私はしかし、胸の内でため息をついていた。
「さすがは我が国の品物だ!」
そう、ファラザードで仕入れた、ゼクレス産の品である。
バルディスタでの商売に役立つと思い、仕入れておいたのだが……
「このような品が他国に流出していたとは嘆かわしい! 言い値で買わせてもらうぞ!」
……こういうわけで、この国の貴族たちは大枚をはたいて国産品を他国から購入するのである。
軽い眩暈に襲われながら私は屋敷を後にした。
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ゼクレス市街。付き人を侍らせ、優雅に道を往く上品な方々を尻目に、私は街を見下ろしていた。
この街はベルヴァイン大森林の奥深く、東から西に下る丘陵の上に作られており、東側は高級住宅街、西側が下町となっている。高低差がそのまま身分の差というわけだ。
街を囲む樹々と霧が石畳を青く染め、妖しく煌めく魔導光がそれを輝かせる。高みから見下ろすこの街は確かに美しい。
彼らはこの景色だけを見て生きてきた、わけだ。
丘を下る。と、背後に浮かび上がる貴族街の影が長く長く伸び、町を暗く包み込んだ。
ここは貧しい平民や被差別階級の魔物達が住む世界。煌びやかな屋敷も荘厳な尖塔も、ここから見上げれば頭上を押さえつける重苦しい天井に過ぎない。
……この齟齬はいつか、この国に致命的なものをもたらすのではないか?
下町をうろつく人々の目は足元を見つめ、私の懸念を肯定しているようだった。
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さて、商売が軌道に乗り始めたのはいいが、こうも売れ行きが偏るというのは、少々問題だ。
そこで私は少し目先を変えてみることにした。
視線の先は、この通りに店舗を構える六大陸堂。その名の通りアストルティア六大陸の品を扱うという、魔界でも非常に珍しい店である。
アストルティアの品ならいくらでも仕入れられる。ゼクレスにおける活動の軸にすらなり得るのでは……
そう期待して訪れた六大陸堂だったが、残念なことに閉店状態だった。なんでも、店主のシリル氏が当分は留守にする、と言っていたそうだ
店内に置かれた品は、彼のアストルティアに対する造詣の深さを物語っていた。
エルトナ風の掛け軸、床の間セット、黄金のプクリポ像に、グランゼドーラ・勇者の橋を描いた絵画。逆側にはオーグリード風の毛皮のベッドも展示されている。魔界にいてこれだけの品を集めるとは、相当の好事家だろう。
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「しかし店に鍵もかけずに長期外出とは、不用心だな……」
「治安がいいのかな」
妖精のリルリラが首をかしげた。だとしたら私はゼクレスの統治機構を再評価せざるを得ない。これが下手な街だと、タンスやツボの中身まで洗いざらい持っていかれているところだ。
「シリルさんの店からものを盗む人なんていないわよ~。いたら私が燃やすし」
シリル氏のファンを自認するジャガーメイジのドロステア嬢はそう茶化した。
「シリルさんって平民にしては物腰も洗練されてるしイケメンだし、きっと貴族の出だと思うのよね」
それでいて魔物や平民にも分け隔てなく接する好人物だそうだ。ますます一度、会ってみたかった。彼とコネを作れたなら、この国での情報収集にさぞ役立っただろう……
「彼が戻った頃に、また来てみるか……」
「アストルティアに、興味があるのかね」
……と、店を出た私に話しかけてきた影があった。
シリル氏……ではない。聞いていた人相とまるで違う。小柄で陰気な、しかしどこか迫力のある老人の声だった。
私は思わずつばを飲み込んだ。
老人は皺だらけの顔に空いた二つの切れ目から、鋭い光を投げかけた。
「一つ、仕事を頼まれてくれんか」
霧の都に、風が吹いた。