ベストラル家のパーティ会場。
その片隅で、ベルント老は壁に架けられた絵を指さしていた。
「これは魔界前衛芸術を代表する絵画の一つでな……」
彼は芸術品の中でも特に絵画に目がなく、このパーティに出席したのもここに展示される絵画を見るためだった。
解説を受けた若い貴族はあまり興味が無いらしく、愛想笑いだけ浮かべてそれを受け流したが、私はその絵画に何か惹きつけられるものを感じ、近くに足を運んでいた。
自然と、解説の聞き手を引き受けることになる。
明けなられた窓。舞い込む羽。そして何かを見つめる獣。その視線の向こうに瞳を奪われた次の瞬間、獰猛な獣の牙が私を捉える……
「前大魔王、マデサゴーラの作じゃ」
老人は早口に喋り始めた。
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「ゴーラの都は前衛芸術の聖地でな……マデサゴーラの作品は型破りな魅力があった!」
意外な所で意外な名を聞くものだ。
先の大魔王マデサゴーラは一昼夜にも及ぶ激しい戦いの末、勇者姫と盟友殿の手によって倒されたが……私もその戦の末端に、支援部隊のいち兵卒として参戦していた。
遠目から見た大魔王の姿は邪悪にして尊大、そして、まるで積み木で遊ぶように新世界創造を無邪気に楽しむ、良くも悪くも子供の様な男に見えた。
この老人の口ぶりからすると、なかなかの人気画家だったらしい。
支配、征服、戦い。そんなものよりも、そちらの方が彼の本質だったのではないか。
もし、彼が創世の力に触れず……大魔王などにならず、いち芸術家のままであったなら……。
……私はふと、ルネデリコに会いたくなった。彼の作品は、ここには無いようだ。
「そのゴーラの都も魔瘴に呑まれ、今はない……」
「マデサゴーラには、後継者はいなかったのですか?」
「はて……どこかで聞いたような……。確かラハール様……いやマゴデサゴーラ……ペペロンチーノだったか……」
ベルント老人は首をかしげた。
「まあ何にせよ、彼は不世出の画家じゃったよ」
「あら、でもやっぱり格調高いゼクレスの作品の方が私は好きですわ」
上品なマダムが老人の頭の上から口を出す。他の貴族たちも口々に同意した。ベルント老人曰くところの"前衛芸術"は、彼らの目には"奇抜"、"病的"と映るらしい。
老人はがっくりとうなだれた。
「この国の芸術は保守的でいかん……もうあんな作品は見られんのかのう……」
どうやらマデサゴーラの作品を除けば、彼のお眼鏡にかなう作品は無かったようだ。
ファラザードまで絵を探しに行ってみようか……と、誰かに聞かれたら白い目で見られそうな台詞を彼はぽつりと呟いた。
文化の排斥が起こるとき、真っ先にその国を逃げ出すのが芸術家たちだ。彼らの心だけはどんな権力も縛れない。
身分や種族に捉われないバルナバスの性格も、この老人から受け継いだものかもしれなかった。
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もっとも、背後から聞こえてきた噂話が本当なら、彼の望みが叶うかどうかは怪しいところだ。
「エルガドーラ様は他国との交流を断つ方針で政策を進められているとか」
「いやいや大いに賛成ですな。まさに御英断」
緩やかに色を変える魔導光シャンデリアの元、上流階級の紳士淑女たちは優雅に会食を続けていた。
当然のことながら、出席者の殆どがエルガ派だ。王太后を讃える言葉があちこちから湧き上がる。
「ああ、私もエルガドーラ様のような素敵な出会いが無いかしら」
「ハハ、ロイヤルウェディングとまではいきませんが、私の甥がなかなか優秀でしてなあ」
浮いた話にも華が咲く。
彼らの話によれば、エルガドーラ妃は弟君のオジャロス公と森で狩りをしていた時にイーヴ王と出会い、恋に落ちたのだとか。
「意外とロマンチックなんだね」
「見つかるぞ」
首を突っ込みたがる妖精の頭を抑える。
オジャロス卿の顔は、絵画で見たことがある。小柄で恰幅の良い、人のよさそうな中年だった。
美しく威厳に満ちたエルガドーラと並べると、どことなく我が国のディオーレ陛下とメルー公を思わせる。さしずめ魔王アスバルがオーディス王子か。
もっとも、内情は大いに違うようだが。
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メルー公は一見、昼行燈だが、我が国の実質的な宰相と言ってよい立場にある。
オジャロス公はどうなのだろう。
私は貴族たちの噂話に耳を傾けたが、それ以上の話は聞けなかった。
一つ言えることは、血統主義を掲げつつもエルガドーラ自身は王家の血筋ではない、ということだ。
生まれながらの貴種ではない。だからこそ、手に入れた地位に固執するのだろうか。
そして彼女の息子、アスバルは生まれながらの魔王の血統。
そんなアスバルを、彼女はどんな目で見ているのだろう……
ゼクレスを包む悪意の源を、私は見たような気がした。