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玄武岩の様な黒い腕が薬瓶をつまむ。見開かれた三つの瞳から、表情を読み取ることは難しかった。
シャドーサタンのロア氏はバルディスタの軍医であり、毒の専門家でもある。
ぶっきらぼうで冷徹な印象を与えるが、仕事は誠実なもので兵たちからの信頼も厚いようだ。
「毒が品切れになって困っていたところだ。感謝するぜ」
氏は無表情に礼を言った。私は軽く探りを入れてみることにした。
「軍ではそれほど毒を多用するのですか?」
「いや……」
ロア氏は首を振った。
「ヴァレリア様は力で敵を圧倒する戦法を好まれている。毒などそうそう使わんはずだが、誰かが勝手に使用したらしくてな」
「きっとベルトロさんでしょう」
と、隣にいた兵士が口を挟む。
「毒なんてこすい手を使うの、あの人ぐらいですし」
兵士は肩をすくめた。ロア博士の口元も、少し緩んだようだった。
ベルトロの名は私も聞いている。バルディスタ軍の№2で、ヴァレリアの右腕とされている男だ。
だが、その評判はどうにも微妙なものである。曰く、胡散臭い。曰く、いい加減。酒癖が悪いとか、頼りないといった声もある。
「あんな人より、ヤイルさんの方が頼りになると思ってたんですけどね…」
兵士は頭を掻いた。ロア氏もフム、と腕を組んだ。
ヤイルは若くして軍の№3にまで上り詰めた人物で、部下からの評判も上々。誠実かつ勤勉で、王に対する忠誠心は人一倍高かったと聞く。
「見どころのある若者に見えたが…」
ロア氏は低く唸った。№3の失脚は街でも噂になっていた。一説によれば、反逆罪で処刑されたとか…
「何が起こるかわからん世の中だニャー」
ニャルベルトの呟きに、スライドはしたり顔で頷いた。
「ま、一見従順な奴ほど腹に一物抱えてるってことッスよ」
「君が言うと説得力があるな」
スライドはスライム離れした表情で私を睨みつけるのだった。
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「でもまあ、これからは毒なんて回りくどいもの、使う必要もないですよ」
と、兵士は楽しげに砲座を叩いた。
「こいつがありますから」
見れば、特注品と思しき砲弾が重厚な箱の中に並んでいた。
「それは?」
「近寄るな!」
ロア氏が鋭く私を制した。その瞳に、険しい表情が宿っていた。
ただ事ではない。私は彼に従い、距離を置いた。
彼は兵も下がらせ、そっとケースを閉じた。蓋の合わせ目から、毒々しい空気が溢れ出るかのようだった。
シャドーサタンは小さく呟いた。
「……魔瘴弾だ」
「魔瘴……?」
私の背筋を寒いものが撫でた。猫もスライムも妖精も、凍り付いた。
魔瘴とは、読んで字の如く魔界の瘴気。桁外れに強い力を宿す一方、触れたものを汚染し変質させる劇薬のような存在だ。
一部の上級魔族を除けば、これに触れて無事でいられる者はいない。
彼らはそれを砲弾として敵軍にぶつけようというのだ。
「こんなものを……」
ごくりとつばを飲み込む。
アストルティア防衛軍でも痺れ砲弾程度の細工は使うが、汚染弾など論外である。守るべき土地を汚して何が勝利か。
魔界とてそうだ。
元々バルディスタの土は魔瘴の影響が強く、作物が育たない。故に数少ない恵みを奪い合う戦乱の地となった。豊かな土地を求めて、彼らは戦うのだ。
その戦いにこんなものを使えば、どうなる? たとえ勝利したところで土地は腐り、荒廃し……
そして汚された大地は、彼らを更なる争いへと駆り立てるだろう。
「最近も突発的な魔瘴の噴出で、辺境の地にかなりの被害が出たらしいぜ」
ロア博士の言葉に、スライドがピクリと反応した。顔を覗き込もうとすると、背を向ける。
「危険な品だ」
シャドーサタンは釘を刺すようにそう言った。だが兵士たちは強力な兵器を前に、高揚を隠しきれない様子だった。
中にはこんなことを叫ぶ者もいる。
「いやー、ゼクレスでもファラザードでもアストルティアでも、何でもいいからこれの威力、試してぇーー!!」
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暗い雲が、空を覆った。私は遠い記憶の中に、同じ言葉を見つけて身震いした。
古代ウルベア帝国。3000年前の技術者たちは新兵器の威力に酔い、宰相が禁じていた全力照射を、あえて行ったという。
それは全滅戦争への引き金だった。
宰相は絶望に嗚咽したという。
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何故、兵器というものはこれほどまでに人を魅了するのだろう……
腰の剣に目をやると、柄飾りが語りかける。お前はどうなのだ? と。
暗雲が、私の胸にまで降りてきたようだった。
ともあれ、このことはヴェリナードへの報告書に密に記しておかねばなるまい。
「取り扱いは厳重注意だ。軽々しく近づくなよ」
ロア博士が兵士に指示を飛ばす。
彼とのコネは、大事にしたいものである。