死者の都を歩く。灰まみれの道に足跡がつく。
いずれ数々の足跡が、灰を彼方に消し去るだろう。
柱に飾られた仮面がそれを見つめていた。それは名残を惜しむようでもあり、安堵の吐息を漏らすようでもあった。
* * *
仮面の男からの依頼に従い、我々は様々な仕事をこなしていった。
ある時は死者の思い出の品を探し、ある時は届かなかった言葉を伝え、またある時は剣を振るうことなく謀略に果てた戦士の最後の戦いの相手となった。
彼らの言葉が、姿が、断片的に当時の暮らしを伝えてくれる。
鉱山の町に一攫千金を夢見て訪れる若者たち。思慮深く威風堂々とした王と妃。誇り高き騎士たちと、心のオアシスである酒場のマドンナ……
その声を一つ聞くたびに、在りし日のネクロデアが私の中に蘇るようだった。
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……そして今、灰色の空は晴れ、全ては過去となる。
「せめてあなたの心の片隅にこの光景を焼きつけたいなんて、これもワガママな呪いかしら……?」
マドンナの熱を帯びた瞳が、哀愁のウインクを飛ばした。私にできるのは……彼らの生きた証を記録の中に刻み込むことだけである。
美しいマドンナと、彼女に愛された幸運な男の物語も……
「これで思い残すことはない。さらばだ、お人好しの侵入者よ」
……また一つ、仮面が瞳を閉じ、永遠にもの言わぬオブジェとなった。一つの物語が、これで終わったのだ。
「ずっとそばにいたんだね……」
リルリラは労わるようにそっとその顔に触れ、祈りの言葉を口ずさんだ。
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我々にとっては、思わぬ収穫もあった。
一人生き延びたというこの国の王子に関する情報も、その一つである。
どうやらこの街はファラザードにとって、思った以上に重要な場所であるらしい。
かつてネクロデアを訪れた旅人の手記も発見した。しかも……書き手は魔族ではない。どうやら私の大先輩のようだ。
これが何を意味するのか……ひとまず、その言葉を刻んでおくとしよう。
この地を襲ったバルディスタ軍に関する情報も興味深い。
ゾブリス将軍は幻術を用いた絡め手と非道な呪術でこの国を落としたという。鉄血の国バルディスタにしては、珍しい戦術だ。
この200年で、何か変化があったのだろうか。
ついでに言えば、少し前まで魔界は統一されていたはずだから、バルディスタがネクロデアを攻め滅ぼした後で一度マデサゴーラが全土を統一し、その後、再びバルディスタが台頭したということになる。歴史の授業だ。
彷徨える亡霊神父は、魔界にも宗教があることを教えてくれた。街に恵みを与える鉱山そのものを暗鉄神ネクロジームの名で崇め、祈りを捧げていたそうである。自然の恵みを神格化し、奉る。最も素朴な宗教の形だ。
採掘は国を支える産業であると同時に、神事でもあったのだろう。故に神父が採掘場の管理人を兼ねることとなる。なかなか興味深い文化である。
何故、他の国に宗教という文化が芽生えず、この国にだけ定着したのか……それは恐らくは国を支える力の違いだ。
個人の武力、血統、あるいは交易によって成り立つ主要国と違い、この国は鉱物資源すなわち大地の恩寵によって成り立っている。力こそ全てというなら、これもまた力。それが自然崇拝へと繋がったのだ。
亡霊神父は静かに語った。
「国が滅びても山は残る。暗鉄神の恩寵はいつか再び、この地に賑わいをもたらすだろう」
事実、旧ネクロデア鉱山ではデモニウム鉱石目当ての採掘者と何度もすれ違った。この地が再び鉱山の街となる日は、そう遠くないのかもしれない。
* * *
……さて、一通りの依頼をこなした我々がお喋りな仮面から装置の動かし方を教わったころ、既に日は落ち、廃墟は夜に包まれていた。
仮面は言った。
「町はずれに宿がある。今日はそこで泊まっていくといい」
親切な死霊である。
指定の宿屋では骸骨の店主がにこやかに我々を出迎えた。私はウウムと唸った。
こういう時、いきなり骸骨の姿で現れるか……?
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「まず生前の姿で接客し、不審に思いつつも宿泊した客が翌朝、目を覚ますとそこには……というのが定番だろう?」
「勉強不足ですまんなあ」
彼は生前、宿屋を経営するのが夢だったそうだ。我々が初めての客だと、浮かれ調子で語っていた。
翌朝、彼の姿はどこにも無かった。
念願がかない、成仏したのか。それとも……
「案外、私のアドバイスに従っただけかもな」
私のジョークに答える声は無かった。リルリラは祈りを捧げ、宿の扉を潜った。
早朝。ネクロデアは眠るような静寂の中にあった。
仮面もまた眠る。永い眠りだ。
我々は灰を踏みしめ、次の目的地へと向かう。
風が、灰を運んでいく。
……いずれ全てが、歴史の彼方へと消えていくだろう。