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棘のない顔をしている。
それが彼女の第一印象だった。
柔らかな銀髪、丸みを帯びた穏やかな瞳。飾り気のない質素なドレスに、たおやかな細腕。
だからこそ余計に、その腕に巻き付いたイバラの腕輪が際立って見えた。
「こんにちは」
彼女は私に微笑みかけた。毒のない笑顔だ。
私は帽子を外し、そのまま一礼した。
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「お初にお目にかかります。巫女殿」
少女は少し困ったような顔でお辞儀を返した。
魔瘴の巫女。彼女はそう呼ばれる人物である。
魔瘴調伏の旅の中でファラザード軍に拉致されたとのことだが、客分として扱われ、まるで姫君の様な暮らしをしている……というのがバザールで聞いた噂だ。
どうやら、当たらずとも遠からず、らしい。
互いに挨拶をかわし、自己紹介をすます。だが彼女は私の名前よりは、この花の名前が気になるようだ。
青白く澄んだ花びらは、砂の都にあって一層涼しげに揺れていた。
「何という花なの?」
無邪気とも思える瞳で彼女はそれを覗き込んだ。銀髪が無造作に揺れる。
彼女こそ、触れれば朽ちてしまう花ではないのか? 奇妙なざわつきが胸に爪を立ててかき乱す。未知の宝石を目にした少年のような気分だった。
だが一方で、狡猾な大人の本能は怜悧に状況を判断していた。
私は魔瘴の巫女との接触を果たしたのだ。聞き出せるだけの情報を聞き出さねばならない。しかも、できるだけ自然に。
私は余裕ある笑顔を繕うと、花を背中に隠した。
「私は商人。取引と行きませんか」
「取引……?」
「花の名前を教える代わりに、お聞きしたい」
彼女は少し戸惑う顔を見せたが、私は構わず続けた。
「巫女殿は魔界中で魔瘴を祓ってきた……大変な御業です」
少女の目元が僅かに硬直する。私はその瞳を凝視した。
「大きな力には大きな代償がつきもの……お体に相当な負担があるのでは?」
彼女は反射的に腕のイバラを一瞥した。
果たして"魔瘴の巫女"は瘴気鎮静に向けて、切り札たり得るのか。私はそれを知らねばならない。
「……もしお疲れなら、滋養強壮の薬草も搬入させますよ。ああ、ご心配なく。お代はユシュカ王からガッツリと頂きますから」
冗談めかせて言うと、少女はクスクスと笑った。抜け目ない商人の顔で本当の意図を隠す。私は汚い大人かもしれない。
少女は細腕を撫でながら言った。
「……確かに魔瘴を鎮める時は少しきついけど、すぐ治まるわ。大丈夫よ」
逆に言えば、負担はある、というわけだ。
巫女は私を安心させるように、微笑みを浮かべて頷く。
不意に、もう一つの……任務外の疑問が私の脳裏に浮かび上がった。
しばしの逡巡ののち、わたしは口を開いた。
「無礼を承知でお聞きします」
彼女は首をかしげた。私は続けた。
「貴女は人間族に見えます」
少女がハッと息をのむ。
「……にも関わらず、この魔界で魔瘴を鎮めて回っている。人間のあなたが魔族の為に奔走することに、疑問はないのですか?」
噴水の音が、やけに鮮明に響いた。
透明なものが、幾何学模様の上を流れていった。
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少女はゆっくりと唇を動かした。
「人間……アストルティアという世界に住んでる人たちのことね」
少女の瞳は一瞬、遠くを見つめ、そして彼女は自分の胸に掌を押し当てた。
「私が人間かどうか、わからないわ……私は何も覚えてないの」
「記憶が……?」
彼女は頷く。
「ただ私が目覚めた時、目の前にあったのがこの世界で……周りにいたのが彼らだったわ。それを守ろうと思うのは、おかしいかしら?」
「……自然な感情かと」
私は驚きを押し殺して答えた。一体彼女は何者なのだ?
「それに、魔仙卿は言ってたわ。次の大魔瘴期はアストルティアまで飲み込む巨大なものだって」
「なんですって!?」
押し殺した衝撃があっさりと溢れた。耳ヒレがみっともなく震えだす。
「それは……い、いや、まず……」
私は動揺を空気と共に飲み込んだ。
「……巫女殿は魔仙卿の部下なのですか?」
「恩はあるし、頼み事も受けたわ。でも、部下ではないと思う」
「そ、そうですか……」
意外なことではあるが、予測できなかったことではない。それはいい。
衝撃の本陣に私は切り込んだ。
「それで、魔瘴がアストルティアをも巻き込むというのは……事実なのですか?」
「私にはわからないわ。でもあの人は多分、ほんとうのことだけを言う人よ」
私は沈黙した。