ファラザードの進撃は続く。城門は既に破壊されていた。バルディスタの先行部隊だ。派手にやったらしい。おかげでファラザード軍は素通りに近い形で城内へと侵入することができた。
バルディスタ兵が城内を蹂躙し、その後をファラザード軍が続く。ユシュカにとってこの展開は望外の幸運だったに違いない。
最小限の被害で、ファラザード軍は進軍を続けた。
だがそれも中庭から眩い閃光が放たれ、巨大な魔人が現れるまでだった。
誰もが悲鳴を上げる。
バルディア山岳地帯に現れた、あの怪物である。
ファラザード兵が、いやバルディスタのブラックアーマーさえも、立ちすくんだ。バルディアの、あの無残な光景を忘れたものはいない。
城壁の上では魔妃エルガドーラが、あの彫像と同じ傲然とした顔つきで並み居る軍勢を見下ろしていた。
手にした魔杖から光が放たれ、魔人がそれに応えるように動き出す。
「怯むなッ!!」
高く強い声が響く。魔王ヴァレリアだ。
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「あの化け物は、私が相手取る!」
氷の魔女が飛翔する。ヴァレリアの鉾槍が太古の魔人へと突き刺さる。オオ、と歓声があがる。
「よーし、お前ら、デカブツは陛下に任せて周囲を掃討するぞ!」
副官ベルトロが安全な距離を確保しつつ周囲に指示を下す。
「こちらもあれと同じ位置まで下がりましょう」
私はイルーシャに指示を出した。そういう見極めに関しては、信頼できる男だ。
「そうしてくれ」
ユシュカはそう言って進み出た。
「こっちは、引っ込んでるわけにもいかないんでな」
追いすがろうとするイルーシャの裾を猫がつかんで引き戻した。
先行していたユシュカの従者殿も、時を同じくして中庭に辿り着いたらしい。
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私は距離を取りつつ彼らの対峙を窺った。
それは圧倒的な光景だった。
魔王ヴァレリア。魔王ユシュカ。魔妃エルガドーラ。そして太古の魔人と、ユシュカの従者殿。
ヴァレリアの後方にはベルトロが。エルガドーラの傍らにはオジャロス大公の姿が見える。
魔界の命運を握る大物たちがゼクレス城・魔導広場を舞台に、一堂に会しているのだ。
「一人足りないのが、悔やまれるな……」
誰言うとなく私はそう呟いた。
エルガドーラが杖を振り上げる。太古の魔人が立ち上がった。
王たちはそれぞれの得物を固く握る。戦いが始まろうとしていた。
だが私はその叙事詩にも似た光景に瞳を奪われるわけにはいかなかった。護衛役として、任を果たさねばならない。
私は振り返り、護衛対象に警告を発しようとし……
そこまでだった。私は声を詰まらせた。
イルーシャはいつかと同じ、澄んだ水晶の瞳でその光景を見つめていた。
魔王たちの、魔界の重鎮たちの戦いを。
私は、彼女もまた魔界の運命を握る存在であることを思い出し、再び息をのんだ。……瞳を奪われたのだ。
魔王ヴァレリアが裂帛の気合と共に槍を振るう。
エルガドーラが魔杖を掲げ、魔人は荒れ狂う。
魔導城の美しい中庭が凍てつき、砕け、大理石が飛び散った。
ユシュカと従者殿は距離を置きながら機を窺う。
魔瘴の巫女はその戦いを、無言で見つめていた。
何を思い、何を祈るか。
私は警戒を続けつつイルーシャの表情を窺った。
ユシュカの無事と勝利を祈っているのか? ……それもあるだろう。
だが彼女の瞳はどこまでも透徹とした、それでいて複雑な色合いで戦いの光景を映し出していた。
氷刃が煌めくたびに青白く、魔光が輝けば赤く、砂塵が舞おうともその瞳は曇らず、ただ真っ直ぐに戦場を見つめる。そのまなざしは、友を思う一個の少女のそれを超えた、何か神聖なものに見えた。
私は、彼女の裏に魔仙卿の存在があることを意識せずにはいられなかった。
魔王たちの戦いを見守る巫女の姿は、まるで魔仙卿に代わって彼らの資質を見極めんとする監査官のようではないか……。
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戦いはいつ果てるとなく続いていた。
果たして巫女の祝福を受けるのは誰か。
やがて一つ目の決定機が訪れた。
一条の魔光が黒鎧を赤く染める。
それは私にとって意外な光景だった。
「ま、まさかヴァレリアが!?」
ベルトロが驚愕する。
圧倒的な戦力を誇る魔王ヴァレリアが、魔人の放った光に呑まれようとしていた。
バルディアの会戦で全軍を壊滅させたあの魔光である。
ヴァレリアの顔が怒りと苦痛に歪む。
ヴァレリアもただ者ではない。生身の身体でありながら、あの破壊光線を受け止めて見せた。魔氷と魔光が拮抗する。力の奔流が空に火花を散らし、爆風を引き起こした。
私は一歩下がろうとしてイルーシャの身体にぶつかった。イバラの巫女は、微動だにしなかった。
そしてイルーシャの瞳は、決定的な瞬間をとらえていた。
(続く)