王と冒険者が肩を並べ、最後の戦いへと赴く。
魔界大戦。この英雄叙事詩も、いよいよ終章を迎えたようである。
地響きが魔導城を揺るがす。魔人の巨体が唸り、閃光が走る。
爆風に煽られ、私はイルーシャを後ろに庇いながら距離をとった。時折援護の矢を射かけるが、どれほどの効果があるものか。
「もっと下がって!」
魔人の振り下ろした爪が壁を裂き、弾け飛ぶ城壁の欠片が弾丸となって舞い降りた。多少の傷を負いつつも私はイルーシャを下がらせる。もはや様子を窺うことすら危険だった。
一方、魔王とその友は、神話的な戦いを繰り広げていた。
巨大な魔人を相手取り、正面から大胆に切り込んだかと思えば、四つん這いになった巨腕を足掛かりとして跳躍し、その顔面へと切りかかる。
第三の目が一瞬輝いた。が、鉄塊と化した瞳は火花を散らすばかり。魔光は封じられたのだ。
地団太を踏むように魔人が荒れ狂う。戦士達は、ある時は腰を落として真向からそれを受けきり、またある時は連撃の間を縫って旋風の如く懐へと飛び込んだ。
武器を振るうたびに業炎が地を焦がし、雷光が空を走る。
「なんという戦いだ…」
ファラザード兵も、ゼクレス兵も、もはや遠巻きに見守ることしかできない。瞳に映る戦いの光景を、ただ焼き付けるだけだ。
いつ果てるとも知れない激しい戦いの末、ついにその時が訪れた。
何度目かの爆炎が魔人の外殻を軋ませる。瞬間、冒険者は機を逃さず攻撃を仕掛けた。
重い一撃。決定的な一打が装甲を焼き砕く。鎧状の甲殻がはじけ飛び、肉の灼ける異臭が充満する。
「……!!」
魔人を睨みつつ冒険者はユシュカに目配せした。その必要もないほど速やかに、ユシュカは動いていた。
魔剣が閃き、露出した肉に突き刺さる。赤く輝く魔剣の呪力がほとばしる血すら石へと変える。肉が石に。そして鉄に。
「ーーーー!!!」
魔人が絶叫する。黒い波動が巨体から溢れ出し、弾けるように散っていく。戦場の誰もが振り向いた。断末魔が魔導城の外にまで響き渡る。
そしてそれが鳴りやんだ時、巨人は鉄の塊と化していた。
光を失った巨躯がぐらりと傾く。
鉄の軋む音が鳴り、鋼鉄にひびがはいる。
太古の魔人はどうと倒れ伏し、バラバラに砕けていった。
* * *
砕けた鉄塊と砂塵が周囲を覆う。
鉄塊の奥から、魔人の核となった本体が姿を現し、静かに倒れ伏す。
エルガドーラも動かない。
城の外周ではゼクレス魔導兵団を突破したファラザード軍の雄叫びが響く。
「もはやこれまで…」
オジャロス公はユシュカ王の前に進み出ると、ゼクレスの全面降伏を宣言した。
ファラザード兵から歓喜の声が、ゼクレス兵からは失意の息が溢れる。
ユシュカ王は、すぐには答えなかった。
ただじっと己の剣を見つめていた。剣に映る、己の瞳を見つめていた。
オジャロスは、そしてゼクレスの魔王は今、抵抗できない。勝者となったユシュカには生殺与奪の権がある。
イルーシャはまだ瞳に強い光を宿したまま、彼らのやり取りを見つめていた。
ユシュカは…剣を振り上げ、拳を震わせ、そして剣を納めた。
次の瞬間、イルーシャは私の背後から飛び出した。
「ユシュカ…よかった! それに、あなたも!」
イルーシャはユシュカとその友に駆け寄った。まるで勝者を祝福する女神…
いや、そうではない。
私はかぶりを振った。
屈託のない笑みを浮かべたその顔は、純粋に友の無事を喜ぶ少女のものだ。
私は何かほっとするものを感じで胸をなでおろしていた。張りつめた空気が急激に弛緩していくのを感じる。
恐らく全ての兵士が、そうだったに違いない。
「ミラージュ、あなたもありがとう」
振り向いたイルーシャに私は咳払いして答えた。
「その言葉はファラザードに戻ってから聞かせて頂きましょう。帰るまでが護衛です」
イルーシャはクスリと笑った。ファラザード兵が勝ちどきを上げ、ゼクレス兵は武器を地に落とした。
冒険者と言葉を交わすユシュカの顔には、複雑な表情が浮かんでいた。
イルーシャは慈母の瞳でそれを見つめ、呟いた。
「痛みを乗り越えた時、人は強くなる…彼もきっと」
ただの言葉ではない。確信にも似た光がその瞳には宿っていた。
彼女は一体、いくつの顔を持っているのだろう。
「吾輩、大分疲れたのニャー」
猫が杖に寄りかかる。その頭を撫でるイルーシャの顔は、また屈託のない少女のそれに戻っていた。
終戦を告げる鐘の音が響く。
オジャロスは正式に和睦を申し入れ、ユシュカはそれを承認した。
敗走するバルディスタ軍の元にも、その報せは届くだろう。
ここに魔界全土を揺るがした大戦は幕を閉じたのである。
(エピローグに続く)