戦のあと。
ベルヴァインの木々が静かに揺れる。
重々しく歩を進める軍馬の足音が、霧深い森にこだました。
静かに振る雨の音が、戦の熱と勝利の高揚を徐々に冷ましていく。敵地を去る兵士達の胸には、疲労と虚脱の風が空しく吹き始めていた。
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英雄的な戦いの後には、現実の重みがずっしりとのしかかってくるものだ。費やされた国力、消費された資源、そして命。
勝利したとはいえ、何を得たという訳でもない。
ゼクレスとの講和条約はファラザードに優位な条件で締結できるだろうが、オジャロスの古狸ぶりは有名である。下手を打てば、どうなることか。
ファラザードは交易で栄えた国。王の臣下も、彼の手足ではない。利によって繋がっている。彼らを繋ぎとめるため、王は更なる利を与え続けねばならない。さしあたり、生き延びた兵達への論功行賞だが、ゼクレスからの賠償金だけでは賄えまい。
ユシュカはこれから王として、これらの現実に立ち向かわねばならない。
対応を誤れば、次なる戦乱すら呼ぶだろう。戦後処理とは、時に戦そのものよりも厄介な代物なのだ。
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ゼクレスも今回の敗北で、大きな体制の変化を余儀なくされる。ことに、首脳陣の入れ替えは必須となるだろう。
ファラザードへの賠償金自体はどうにかなるにせよ、気位の高いゼクレス貴族がそれに反発したなら、内部分裂もあり得る。
元より貧富の差が激しく内部に反政府勢力を抱えている国だけに、魔王の政治的手腕が問われるところだ。
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そしてバルディスタは二度にわたる敗走により大打撃を受け、もはやアストルティア侵攻は非現実的となった。
ヴァレリアの安否も不明のままだ。もしものことがあれば、国そのものを維持できるかどうかの瀬戸際となるだろう。
一方、アストルティアから見れば決して悪い状況ではない。特に、バルディスタの弱体化は朗報というべきだろう。侵略の危険は大幅に減ったと言える。
が、これで一安心とは行かない。
大魔瘴期の到来という問題がまだ残っているのだ。
ユシュカ王は自ら大戦を引き起こして一気に魔界を掌握し、自身がリーダーシップをとってこれに対応する算段だった。
しかし終わってみれば、魔界大戦は三国全ての力を減衰させる結果となった。
魔瘴の氾濫を阻止できるだけの力は、もはやどの国にも残っていないのではないか?
「力が足りなければ、力を合わせるしかないよね」
ファラザードの治療院で私を迎えたリルリラは、そう返した。
フム、と私は腕を組んだ。受けた手傷が少し痛む。
理屈ではそういうことになる、理屈では。
「だが、理屈通りにいくかな」
「そだねえ」
リルリラは私の包帯を取り換えながら言った。
「上手くいくとしたら、本当に切羽詰まって、誰にも余裕がなくなった時かもね」
「フム……」
そういえば、城下町でこんな話を聞いた。魔仙卿が三魔王の中から大魔王を選定していたら、こんな戦は起きなかっただろう、と。
間接的にだが、卿は大戦勃発の引き金を引いたのだ。
そして今、戦は終わり、三国は持て余していた力を使い切った。各国には今、厭戦ムードが漂っている。
もし、魔仙卿がそこまで狙っていたのだとしたら……
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デモンマウンテンの光球は、妖しく魔界を照らし続ける。
宮殿には、イルーシャが飾ったのだろう。青く白いバルディジニアの花がひっそりと揺れていた。
* * *
魔界を揺るがす大戦はひとまず幕を閉じた。魔界は新たな段階に入るだろう。
これまでの経緯を報告書にまとめつつ、私は宿の窓を開けた。夜風に乗って、吟遊詩人の歌が聞こえてくる。
流しの詩人、オリフェがこんなことを言っていたのを思い出す。
「死者の栄誉を語り継ぐのも、吟遊詩人のつとめだと思っています。彼らの魂が安らかならんことを」
不夜城の灯火に揺らめく影が、失われたものを謳い伝える。
夜風が砂を巻き上げる。
その一粒一粒に歌が染み入り、砂の大地に還っていった。
(この項、了)