常夏の太陽が砂浜を白く照らす。潮風に乗って心地よい潮騒が耳を撫でる。
空の色は青く、遠くそびえる入道雲はどこまでも白く。ビーチには青春を謳歌する若者たち。老人は海を見つめ、猫は日向ぼっこ。ジュレットの町は今日も健やかだ。
だが私に届いた書簡の内容は、目の前の景色とは裏腹に、不穏な空気に満ちていた。
私の名はミラージュ。ヴェリナードに仕える魔法戦士で、今はここジュレットで防衛軍の手伝いをしているが、近々魔界探索の任を授かることになっている。
私にとって三度目となる魔界の旅だ。目指すはバルディスタ。魔界随一の武を誇る大国である。
「あの後、どうなったんだろうね」
エルフのリルリラが隣から覗き込む。私はページを傾けた。これは魔界に先行した他の団員が記した報告書の写しだ。ページを一枚めくるごとに、ジュレットの爽やかな空気が魔瘴の香りに包まれていくようである。
魔界。あの広大なる、不可思議な大地。
三つの大国が相争い、衝突し、そしてすべからく消耗した、あの魔界大戦。
私はそこまでを見届けて前回の探索を終えたが……どの勢力も国力と人材を失い、窮地に立たされているはずだ。
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「各国とも、まだ大きな動きは無いらしいが……ゼクレスは大分揉めてるようだな」
私はまたページをめくった。
ゼクレス魔導国は魔界で最も古く伝統ある国家だが、貴族と平民の格差が激しく、国内に不穏分子を抱えている。
そんな状況で大戦に乗り出し、大敗を喫した。
実質的な指導者であった王太后エルガドーラも失った。
伝統国の誇りは踏みにじられ、ただでさえ高い物価はさらに上昇。貴族でさえ資金繰りに頭を悩ます有様である。国民の不満と不安は最高潮に達していた。
だが混乱を収拾すべき魔王アスバルは自室に引きこもり、一度も姿を現していないという。
「まあお母さんが死んじゃったんだから、ショックだよね」
「そうだが……王としては失格だな」
城下では"アスバルはいつも母のスカートに隠れていた"などというジョークが流行り始めたそうだ。
普通なら不敬罪として取り締まるところだろうが、ゼクレス当局はそうした風評を広がるがままに放置しているようだ。
魔導の都に不信と不安が渦巻き、数々の火種が熱を発し始めた。魔都を覆う雲は重い。
「斜陽、か」
ページをめくると、報告書には都の様子を映した写真が添えられていた。私がかつて、商人を名乗って訪れた頃と何も変わらぬ格調高い町並み。
だがエルガドーラはもういない。
数多の呪文を紡ぎ、己が権勢を雄弁に語った魔女の唇はもう二度と開かれることはなく、物言わぬエルガドーラ像が過ぎ去りし時代の栄光を虚しく誇示するのみであった。
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そんな中、復興の中心として精力的に活動し、評価を高めているのがオジャロス大公である。
一見すると昼行燈に見えるが、先の大戦では弁説をもってファラザードを欺いた、したたかな男だ。
そういう男が、この場面で頭角を現すということは……
「かなりの狸かも、な」
「でも街の人からは評判いいみたいだよ?」
「それが悪い」
私は腕を組んだ。
「こういう場合、臣下が人気を集めてはいかんのだ」
家臣の人気は王の不人気。真の忠臣ならば己が汚名をかぶっても王を立てるものである。でなければ、国は成り立たない。
だがオジャロスはその点には無頓着なようだった。
「もし、それを意図的にやっているとしたら……」
添えられた魔大公の肖像画を見つめ、私は大きくため息をついた。潮騒が、疑念の飛沫をまき散らす。
ゼクレスにはまだひと波瀾、ふた波瀾ありそうである。
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(続く)