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空の青が一面に広がり、入道雲の雲がそれを貫きそびえ立つ。緑の大地が風に揺れ、赤く色づく花が舞う。
馬上から周囲を見渡せば、ジュレー上層の爽やかな景色が、風と共にゆっくりと流れていく。
「素晴らしいね……この世界は」
並走する馬の背で、ウェナの情景に瞳を奪われたシリルの顔は、まるで妖精に魅了された少年のように恍惚とした表情に染まっていた。
そしてその表情に見とれて頬を薄く染めているのが、私の後ろで鞍につかまるリルリラである。まったく……
「それほどのものか?」
「いいじゃない、目の保養!」
「ああ。美しい景色は心が安らぐよ」
リルリラは頬を膨らまし、シリルは微妙にかみ合わない返事を返した。奇妙な道中だ。
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シリルは旅の学者を名乗った。正確に言えば、学者の卵だ。故郷の村で学問を修め、今は見分を広げるために各地を巡っているとのことだ。
次の目的地は水の都ヴェリナード。偶然にも、私の行き先と同じである。
私は先日の詫びと護衛を兼ねて同道を申し出た。彼は喜んで受け入れてくれた。もちろんリルリラもついてきた。
私のパスを使えば大陸間鉄道も使えるのだが、彼は徒歩にこだわった。
「自分で歩いてみたいんだ。この世界をね」
こうして一風変わった旅が始まったというわけだ。
* * *
道中、シリルは目にする景色の一つ一つに身を乗り出し、時には太陽の輝きにすら感激して見せた。旅をするのは初めてだそうだが、それにしても極端な反応である。
その半面、魔物の襲撃には落ち着いた対処を見せ、民間人につきもののパニックとは全くの無縁だった。
冷静に距離をとって戦いを見守る。その姿は余裕と風格すら感じさせるものだった。
「ジュレットでもそうだったが……実は腕に覚えがあるのか?」
「いや……多少の術は心得てるけど、荒事は苦手だよ。ただ慌てても仕方がないと思うだけさ」
彼は柔和な笑みを返すのみだった。そしてまたすぐに景色に目を奪われる。どうも、つかめない男だ。貴族的な気品、学者的な知性と、少年のような純朴さ。
もっとも、学者というのはそういう生き物なのかもしれない。私は王立調査団の面々を思い浮かべた。あれも変人ぞろいだ。
「ま、護衛する側としては面倒が無いのはありがたい」
私は景色に見とれるシリルを促し、馬を走らせた。
旅は順調だった。
ただ一つ、困ったことがあるとすれば、シリルが目立ちすぎることだ。
洗練された立ち居振る舞い、何気ない仕草の一つ一つが貴公子然とした優雅さを演出し、気品ある微笑は街道で、宿場町で、道行く人々を振り返らせる。本人に自覚が無いのが、なお困ったことだ。
注目を浴びて立ち往生するシリルに私はやっかみ交じりの冗談を飛ばした。
「君は学者以上に役者向きだな、シリル」
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「役者、か……」
……と、その微笑に影が下りる。青年の純朴な瞳が一瞬、虚ろな空洞に変わったように見えた。
黄昏から夜へと移り変わる一瞬の空白。色味の無い空がその瞳に宿り、空虚な世界を映し出す。
「……台本通りに喋るのは辛いよ。厭なことさ」
瞳を閉じ、もう一度開いた時、彼はもう夜空を見つめていた。月の光は淡く優しく、ウェナの空は深い青に染まっていた。
その日は宿場町で一晩過ごすこととなった。
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(続く)