視界の端で、小さな影が揺れていた。
一瞬の違和感が胸をよぎる。戦乱の都には場違いな、小さな影。
そして私は、見つけてはならないものを見つけてしまったことに気づいた。
影は小刻みに震え、ふらふらと彷徨い、涙ながらに声を上げていた。
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「お父さん、お母さん、どこなの!?」
私は絶句した。
逃げ遅れた子供。まだ年端もいかない幼い少女である。泣き濡れ、怯えるその瞳は戦火を映し、真っ赤に染まっていた。
ならず者の一人がその泣き声を耳障りに思ったか、舌打ちして小さな体を蹴り飛ばした。悲鳴すら上げずに少女は吹き飛ばされた。
その先は、乱戦の真っただ中…
「……!」
私は思わず駆け寄っていた。そして駆け寄りながら逡巡の糸に絡めとられていく自分を感じていた。
助けるべきか? 当然だ。だが、その後はどうする?
街の出口は逆方向。私には仲間の命を守る義務がある。
一瞬の躊躇い。少女の悲鳴。振り下ろされる凶刃。張りつめた意識の中で、全てが泥を掻くようにゆっくりと流れていく。
「ふざけるニャー!!」
猫の怒声が轟く。
振り下ろされた刃を爆音と共に焼き砕いたのは、熱情を帯びた真紅の火球だった。ニャルベルトの火球呪文だ。彼は躊躇わない。それが答えとなった。
「その子供も護衛対象に追加だ!」
傭兵達に指示を出しつつ剣を抜き、乱戦へと飛び込む。
「追加料金は高くつくぞ!」
傭兵達は即答し、隊列を組みかえた。応と答えて私は駆ける。炎と狂気の隙間、僅かな活路へと。
「合わせろ!」
少女と魔物達の間に割り込むと、私は振り向きざまに剣閃を走らせた。魔法戦士団の伝家の宝刀、光の理力を帯びた刃が周囲を薙ぎ払う。
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光条が一瞬、壁となって敵味方を切り分けた。その隙を逃さず傭兵達は戦線を押し上げ、防衛のための陣を確保する。
リルリラが子供の手を引いてその後ろに下がり、猫魔道は援護に徹する。私は中央に立って戦況を見極めた。
思いがけぬ反撃に敵はやや怯んだようだ。とはいえ、我々自身と荷物、そして無力な子供の全てを守りながら無数の敵と戦い抜くのは至難の業である。
「ならば……」
私は二度、剣を振り、荷駄をまとめる紐を断ち切ると、荷を引く馬に飛び乗った。
そのまま鞭を振るい、略奪者の群れに突進……すると見せかけて直前で急カーブを駆け、引き返す。
次々に荷物がこぼれ落ちる。魔界では珍しいアストルティア産の絨毯や煌びやかな装飾品、武具に食料……つまり、火種。
「よこせ!」
「どけ! 俺がもらう!」
途端にならず者たちが殺到する。奪い合いになり、衝突し、新たな戦闘が発生する。敵も味方も無い。カオスだ。
我々に向かっていた殺意は分散され、新たな炎が街の各地に火の粉を舞い上がらせた。
馬上より周囲を見渡す。この隙に脱出したい。が、どこに向かって? 辺り一面、戦火一色に見えた。
その時である。
戦場に突然、花が咲いたのは。
私は見た。猫と少女の背後で、揺れる影をただ映していた建物の扉が勢いよく開かれ、鮮やかな紫色の何かが飛び出したのを。
「こっちだ!」
それは凛々しくも美しい声でそう叫ぶと少女の前まで飛び出し、ツルのように細い鞭を見事に操って襲い掛かる暴徒を打ちのめした。
続いて二つ、三つめの花が飛び出す。いずれも妙齢の美女揃い。鍋のフタとフライパンで武装した戦乙女である。
建物の壁には"ジャンビの酒場"とあった。
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紫色の髪を振り乱し、店主と思しき女が声を張り上げる。
「アンタたち! ボーっとしてないでサッサと子供をこっちにやりな!」
「お嬢ちゃん、ついてきて!」
リルリラがその声に従い、少女を酒場へと避難させる。バリケードに囲まれたバルディスタの酒場は一種の砦のようなものだ。
私は子供とリルリラを守りながら馬を飛び降り、自然と砦の防御に加わる形となった。
酒場からは次々と女たちが参戦する。その勢いは魔物達すらたじろぐ程のものだった。
「アタシらの目が黒いうちは、この店の真ん前で勝手な真似はさせないよ!」
二階からはグツグツに煮えたぎったスープが襲撃者の頭上にばら撒かれた。阿鼻叫喚。
自警団、とでもいうべきか。兵士でも傭兵でもない、ただの酒場の女たちがこうも逞しい。私はやや認識を改めた。ヴァレリア去れりといえども、バルディスタはバルディスタだった。
「アンタ達に喰わせるメシは無いよ!」
二度目の熱湯爆撃が行われる。業を煮やしたホークマンが上空からコックを襲うのを私の弓とニャルベルトの火球が撃ち落とした時、敵は撤退を開始した。
「おとといきやがれ!」
看板娘が勝ちどきをあげる。
女店主、ジャンビは私に向き直り、ニヤリと笑った。
奇妙な縁の始まりだった。
(続く)