私がジャンビから話を聞く一方で、店の一角では小さな宴が始まっていた。
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なみなみと注がれた酒に女たちの顔が映り、男達はその水面に口づけする。彼等の頬が赤らんでいるのは、果たしてアルコールのせいだけかどうか。
機嫌よく語られる武勇伝の数々。女店員たちは「スゴーイ」の大合唱。もはや勝敗は決したと言えよう。
「戦力補強には成功したらしいな」
「けど、まだまだね。何より物資が足りない。腹が減っては戦はできないからね」
ジャンビは私が持ち込んだ荷物に目をやった。そして馬を休ませている厩舎の方にも。
どうやら冒険商人としての私には、まだそれなりの価値があるようだ。
商談が始まる。まかりなりにも物資を握っている私に対し、ジャンビの持ち札はそう多くない。金? この状況で何の役に立つというのだ。
だが、彼女もまた、タフな交渉人だった。
「賭けをしないかい?」
ジャンビは鋭く瞳を光らせる。
「ベルトロさんはウチの常連さんなんだ。バルディスタがもし、持ち直したら……」
「私を紹介してくれる、というわけか。王宮御用達の商人として」
ジャンビは頷いた。
だが、この提案にはカラクリがある。私は意地の悪い笑みを浮かべた。
「魅力的な話だが、バルディスタがこのまま崩壊すれば私の取り分はゼロになる。賭けに勝つには君らのために尽力せねばならんわけだ。物資を安く仕入れ、味方も増やす……君は名将だな、ジャンビ」
「ムシのいい提案だとは思ってるよ。けど、賭けに勝った場合の見返りは保証する」
「勝算はあるのか?」
「……ここだけの話、ベルトロさんには何か考えがあるらしいよ」
ほう、と小さく息をつく。
リルリラは商品の包みからとこなつココナッツを取り出して、保護した子供と女店員たちにふるまっていた。
ニャルベルトはフサフサの毛皮を女たちに愛でられて、最初は嫌がっていたが、もはや諦めの境地だ。
「……少し考えさせてくれ」
私は酒場の二階から屋上に上がった。
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遠くではまだ戦闘が続いているようだ。血なまぐさい風が、道の脇に突き刺さったままの矢を揺らした。
その風が隙間風になって酒場に忍び込もうとするのを、私は溜息と共に見つめていた。
……結論から言えば、私はこの提案を受け入れた。
元々、物資は情報を得るための必要経費として持ち込んだものだ。格安で受け渡すことに抵抗は無い。
何より……ベルトロの考えとやらが気になる。
彼はこの国の№2。かつて戦力不足を理由にヴァレリアのアストルティア侵攻に真っ向から反対した男。魔王の威圧の前でも己の計算を捨てなかった男である。その男に考えがあるというならば……
危険はあるが、撤退は彼の目論見を見極めてからでも遅くはないだろう。
「それに、せめてあの子が安心して眠れるまでは面倒見なきゃだしね」
いつの間にか宴を抜け出してきたリルリラが、私の肩に着地して言った。
私が渋い顔をするのを見通していたかのように、彼女は私の頬をつついた。しかめっ面が滑稽に歪む。
「住む場所がなくなったら可哀想だし」
「……一応、敵の街だぞ」
私はことさらに冷たい言葉を選んで口に出した。お見通しとばかりに妖精は笑う。
何度目かの溜息が私の口元から漏れていった。
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あの少女は今、ミゼリ嬢の付き添いの元、毛布にくるまって眠っている。何人かが交代で店の周りを監視し、何があっても子供に危害は加えさせない構えだ。
「いい人たちだよね」
「だから困る」
私は愚痴るように呟く。
「ああいう姿を見せつけてくるから……」
……しょせんは敵の街、と割り切れなくなるのだ。屋上の風が冷たくヒレを撫でる。
高い場所から見下ろして理屈だけを追いかけていれば、聡明怜悧を気取っていられるだろうに……
「見えちゃうものは仕方ないでしょ。目があるんだから」
妖精はツンと私の目じりをつついた。
「それとも明日から目を瞑って歩く?」
「心眼を会得してないから、やめておく」
私は憮然とした表情で答える。益体もない。
妖精は私の帽子の上に移動して、撫でるように頭に触れた。
「ま、しばらくは手を貸してあげようよ」
「しばらくだぞ」
渋々と返答しつつ、ふと私は、自分を卑怯な男かもしれぬと思う。
私は自分自身に言い訳を作るために、リルリラの言葉を待っていたのではないか?
妖精は私の頭に腰掛けたまま、鼻歌を歌っていた。
店の中では、ニャルベルトがすっかり毛並を整えられたところだった。
こうして、バルディスタでの活動が始まった。我々もまた、カオスの一翼を担うこととなるのだ。
戦乱と混沌の果てに、横たわるのは、誰。生き残るのは、誰。
バルディスタの旗は、烈風に揺れていた。
(この項、了)