コツ、コツと、硬い音を立ててブーツが床を蹴る。自分の足音がやたらと大きく聞こえてくるのは、気持ちの良いものではない。
緊張感に背ビレが強張る。一言の声も漏らさぬ黒鎧の兵士達に囲まれて、私は宮殿の奥へ、奥へと足を進めていった。
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ここはバルディスタ王宮。無骨だが堅固な煉瓦造りの城壁には濃紺のタペストリが翻り、揺れるかがり火がバルディスタの紋章を影も色濃く照らし出す。その奥では、鬼瓦めいて威圧的なデザインの扉がそこかしこで口を開き、許可なき者の侵入に備えて牙を研ぎ澄ましていた。
僥倖と言うべきだろうか。
私は思ったよりもずっと早く、この宮殿に足を踏み入れることができた。
「ジャンビさん達にとっては、あんまりラッキーじゃないけどね」
ポケットの中からリルリラが顔を出して言った。私は小さく頷いた。
ここ数日、軍から市民への物資供給が滞っていた。野盗への対応に追われているせいもあるだろうが、何か軍内部に大きな動きがあったらしく、そのせいで手が回らないようなのだ。
業を煮やしたジャンビは輸送役として私を推薦した、というわけだ。
城から城下町に物資を届けることを輸送と呼ぶのもおかしいが、今の状況では大通りも荒野も大差ない。然るべき装備と護衛を整えた輸送団が必要なのだ。
ニャルベルトと傭兵達は堅苦しい手続きを嫌って城門前で待機している。私とリルリラの二人が執務室へと通された。
重厚なドアが開く。いよいよベルトロとのご対面か。
恭しく一礼し、執務室に足を踏み入れる。
私を待ち受けていたのは、少女と見紛うような小柄な青年だった。
壁際には警備兵。少し離れて、総髪を後ろに結んだ武芸者風の男が一人。
ベルトロの姿はどこにも無かった。
「君らが例の輸送役の人?」
青年は流麗な所作で机の上の書類をつまみ上げると、舞うように私の前に進み出た。色鮮やかなアオザイが無骨なバルディスタにあって異彩を放つ。ふわりと揺れた薄紅色の髪から、爽やかな香りが漂ってきた。
私は思わず息をのんだ。目元には艶めくアイシャドー。唇には紅すら引き、薄桃色の肌が形容しがたい妖しい色気を醸し出していた。
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青年はナギと名乗った。元はヴァレリアの側仕えで、今はベルトロの補佐官のような仕事をしているそうだ。
「ベルトロ殿は……?」
「いないよ。№2は忙しいんだ。色々、作戦もあってね」
ピク、と私の耳ヒレが揺れる。
単に席をはずしている、という意味ではなさそうだ。
「ご不在、ですか」
ベルトロが城を離れているとしたら、物資輸送の滞りも頷ける。文官不足はバルディスタの風土病だ。
だがベルトロが持ち場を離れるほどの事情とは何だろう。
スライドから聞いた異国の戦士と、ヴァレリア捜索の話。そして慌ただしく動き始めた軍の様子。
これにベルトロの不在を掛け合わせると、出る答えは何だ……?
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私の思案顔をよそに、ナギはテキパキと説明を進めていた。
「ベルトロ様不在の間は僕が代理を務めてる。ま、最低限、ここの兵士は僕の言うことは聞いてくれるからね」
面白くも無さそうに彼は肩をすくめた。私はその二の腕の辺りを注視した。
武芸の心得が無いわけではなさそうだ。が、壁際に待機した兵士達の隆々たる体格と比べれば及ぶべくもない。魔術の類に長けているような気配もない。
にも拘らず、この青年はかなりの地位を得ているらしい。
他の国なら兎も角、ここはバルディスタ。武闘派揃いのブラックアーマーが彼のような華奢な青年を上官として認めるだろうか……?
「大体のことはここに書いてるから読んでおいて」
物資の要綱と引き渡し先を拝領する。指が触れる。思わずドキリとするほど、柔らかい指だった。
私は周囲から何か、奇妙な視線が集まってくるのに気づいた。
兵士の何人かが腕を震わせ、ナギ青年を……いや、私を凝視している。歯を食いしばり、憎々し気に。まるで……恋敵でも見るような。
私は視線の主と、ナギの顔を交互に見つめた。奇妙な存在感を放つ、妖しい美貌。
「気にしないで。いつものことだから」
ナギは倒錯的な色香を振りまきながら首を左右に振った。薄紅色の髪が揺れる。涼しげな香りが宮廷内に舞い踊り、そのきらめきに兵士達は酔いしれ瞳を奪われるのだった。
……整理しよう。ナギは男性だ。兵士も男性だ。
「……言っておくけど、君からのアプローチも受け付けないからね」
……私も男性だ。頭を抱えたくなった。
リルリラがポケットから顔を出し、苦笑いを浮かべた。
「まあ、昔のエルトナでもそういうのはあったらしいよ」
私だけに聞こえる距離で囁く。別にそういう文化を否定するつもりは無いが……。ため息をつく私の傍らで、ナギは淡々と説明を続けるのだった。