「……伝えることはこれくらいかな。あと……」
と、ナギは突然よろけるように私に一歩、近づいた。
あっ……と思った時にはもう遅かった。
「……!」
固い感覚。
私の脇腹に、短刀が押し当てられていた。
鞘のままだ。
ナギはぞっとするほど美しい瞳を私に向け、虚無的な笑みを浮かべた。
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「……僕はただのお人形じゃない。油断してると、こうなるよ」
背を向けて去っていく青年の姿を、私は呆然と見つめていた。
そして兵士たちは恍惚の表情でナギの後姿を追いかけるのだった。
「城門までは某が送ろう。護衛も兼ねてな」
奥に控えていた総髪の武人が入れ替わるようにやってきた。私はただ頷くだけだった。
彼はダボウと名乗った。装束の上に身に着けた甲冑は他の兵士より大分軽装で、腰に帯びた刀はエルトナ風の見事な太刀ごしらえ。微塵の隙も見せぬ足運びから、ただ隣を歩くだけでもかなりの達人だとわかった。
こけた頬が細長い顔に精悍な表情を与える。バルディスタ兵の中では小柄な部類に入るが、あのナギ青年とは対照的な印象だった。
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「先ほどは大分驚かれたようだな」
彼は私に話しかけた。
「ナギ殿もあれで苦労の多い御仁よ。優れた容姿が人を幸せにするとは限らん。前の主人に仕えていた頃は、不本意な勤めをしていたと聞く」
私はちらりと執務室を振り返った。ダボウは決して多くを語らなかったが……なんとなくは想像できた。
「だが今は、それを武器にすることを覚えた……ヴァレリア様の元でな。ああいう強さもあると、たまに感心する」
そこで彼は一拍間を置き、足運びを変えた。
「そなたもかなりの腕前と見たが?」
私は注意深く観察されている自分を発見した。そして身を隠した。
「護身のために学んだ武技にすぎませんよ」
ほう、と彼は感心したような表情を浮かべる。
「刃を隠すことも武芸の一つ。抜き身の刀よりよほど恐ろしき、殺しの技よ」
武人はニヤリと微笑んだ。
「某もかつては刃を鞘に納めることを知らず……武を極めんとして戦場を渡り歩いたものだ、そしてその戦場の一つで出会ったのだ。魔王ヴァレリア様と」
ダボウは懐かしそうに瞳を閉じた。
彼は敵としてヴァレリアと剣を交えるうちにその強さにほれ込み、次の合戦ではバルディスタの旗下に馳せ参じたのだという。
「自らを納めるべき鞘と出会うこと。武人としてこの上ない喜びと知った」
頷き、そして彼は鋭く私を一瞥した。
「そなたにも同じような気を感じるが?」
これだから恐ろしい。身の上話のふりをして私の身元を探ってきた。それこそ会話の影に隠した、鋭い刃だ。私は逆らわず頷いた。
「かつて、仕えていた方がいます。……今は、見てのとおりですよ」
「フム……」
納得したわけではないようだが、彼はそれ以上追及しなかった。
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私は城門でニャルベルトらと合流し、荷駄を受け取った。
後はこの荷物をバルディスタの各所に届ければいい。野盗の襲撃とかち合わないことを祈るだけだ。
「では、気をつけて行かれよ」
「ええ、貴殿も」
私がダボウと別れの挨拶を交わした、まさにその時だった。
「敵襲だーーー!!!」
街が悲鳴を上げたのは。
* * *
街を覆う城壁の一部が崩れ、そこから軍勢がなだれ込むのが見えた。獣人族を主とした混成部隊である。
闇商人ピッケは慌てて商品をしまい込み、バザーの立て看板をひっくり返した。本日閉店。逃げ惑う客を誘導するのはジャンビら酒場の娘たちだった。
街に入り込んだ獣人をバルディスタ兵が押さえにかかる。だが数が多い。苦戦しているようだった。
「ヒャッハァァー!! 進め進めぇ! バルディスタは今日終わるぜぇぇ!!!」
裏返った甲高い叫び声が街に響く。愉悦の色を隠そうともせぬ蹂躙者の群れは手始めに宿屋の看板を叩き潰した。次に街路樹を破壊。街灯を片っ端から割り砕き、ついでに逃げ遅れた住民も踏みつける。意味など無い。
彼らは大いに笑い、壊し、また壊し、笑った。
ビリビリと痺れる背びれの感覚が、私自身の中で警鐘を鳴らしていた。
これはいつもの散発的な襲撃とはわけが違う。数が、そして何より雰囲気が異常である。
略奪でも侵略でもない。無軌道な破壊だけを求めるかのような、危険な空気が襲撃者達を包んでいた。