
もはや輸送どころではない。襲撃者の詳細は不明だが、私は荷駄を一旦城内に戻し、市民の避難を手伝うことにした。
一方、ダボウは敵襲の報を受けるや否や戦闘者の顔になり、音もなく地を蹴った。
いかなる術によるものか、緩急をつけジグザグに走る彼のシルエットは時折かすむように見えた。だが否である。これは術ではない。体捌き。達人のみが体得できる幻惑的な歩法なのだ。
街を蹂躙する獣人は、ダボウの姿を認識すらできなかったのではないか。彼は抜き放った刀が石畳に触れるほど低い姿勢で地を駆け、すれ違うと同時に逆袈裟に斬りつけた。血しぶきが巻き起こり、また彼はジグザグに走る。バルディスタのサムライは不可視の刃の風となって戦場を駆け、次々に血しぶきを巻き起こした。後には骸が残るのみだった。
見事な戦いぶりである。
だが彼は個に過ぎなかった。バルディスタ兵団と獣人軍の戦いはあくまで五分。激しく燃える戦火の中で彼の周りだけが空白地帯となる。ただそれだけだ。
一人の戦いぶりが戦場を支配するという訳にはいかないのだ。
「ヴァレリアでもない限りは、な!」
私は市民を誘導しつつ戦況を見守った。兵士は奮闘したが完全には進軍を防ぎきれず、街には少しずつ獣人の姿が増えつつあった。
「避難を急がせろ! 手遅れになるぞ!」
「今やってる! 怒鳴るな!」
だがついに、破壊者の一部が逃げまどう住民に目を付け始めた。私は舌打ちしつつ剣に手を伸ばした。
視界の奥では、逃げ遅れ、袋小路に追い込まれた母子が座り込んで震えていた。獣人が数名、舌なめずりしながら近寄っていく。
その前に立ちはだかるのは、一人の兵士である。
「て、てめえら! 寄るんじゃねえ!」
槍を突きつけるその手が震えていた。私は彼の声に聞き覚えがあった。
「ホーゲン……か!?」

いかにもホーゲンである。軍を脱走し、街を捨てたはずの兵士が何故ここにいる?
彼はじりじりと後ずさりしつつ槍を構えた。
「い、一歩でもこいつらに触れてみやがれ! 串刺しにしてやんぞ!」
「おもしれえ、やってみやがれ!」
獣人たちが剣を振りかざし襲い掛かる。ホーゲンは一人目を槍のリーチで追い払い、懐に飛び込まんとする二人目を石突きで突き返した。三人目の斬撃を柄で受け止めると、もう後がない。四人目!
「畜生が!!」
ホーゲンは歯を食いしばった
「ぐああぁぁぁ!!」
断末魔が響き渡る。
私の剣が四人目を貫いていた。
ホーゲンは目をぱちくりとさせて私を見た。が、驚いている場合ではない。五人目!
爆発音と共に獣人の毛皮が焼き焦がれる。ニャルベルトの火球呪文である。

続けて、残る敵を傭兵達が始末する。
「一旦片付いたニャ!」
「今の内に避難を!」
母親は子供を抱きしめ、何度も頭を下げながら逃げ去っていった。抱えられた子供は母の肩越しにホーゲンの姿を見つめていた。
自分達の命を救った英雄の姿を。
そのホーゲンは荒い息を吐き、やがて敵が去ったことを確認すると力なく地べたに座り込んだ。
興奮か、恐怖か、その手はプルプルと震えている。
私は彼に話しかけた。
「逃げたんじゃなかったのか?」
「逃げたよぉ! そのつもりだったよぉ!」
ほとんど泣きべそをかきながら彼は槍を地面に叩きつけた。
「けどあんなん見せられたら、逃げられるかよ! 逃げられねえじゃねえかよ!」
先ほどの親子がジャンビの酒場に案内されるのが見えた。
どうやら蹂躙される人々の姿を見て、結局戻ってきてしまったらしい。
「見上げたものだな」
「偉いのニャ!」
私とニャルベルトが讃えると、彼は見るも哀れな表情で石畳を叩いた。
「偉くねえよ! ちっとも偉くねえんだよ!」
青年の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「守りたいなら最初から逃げなけりゃいいのによ! みっともなく逃げ出して、どのツラ下げて戻ってきたんだよ畜生!」
何度も床を叩く。そして力なく掌を広げ、彼はがっくりとうなだれた。
「俺には逃げる勇気も無かったんだ。最低の臆病者だよ」
嗚呼、と私は嘆息した。ここはバルディスタ。アストルティアにとっては敵地。
敵国の兵士が、何故こうも人情に溢れた好人物なのだろう。
私は彼の隣に屈みこんで言った。
「君が臆病なお陰であの親子が助かった。拍手喝采だろ」
彼はますますうなだれた。ため息が一つ。涙が一つ。そして自嘲的な笑みが一つ。
戦闘音が近づいてきた。まだ襲撃は止んでいない。またも獣人の影が避難区へと忍び寄る。
ホーゲンは勢いよく立ち上がると槍を掴んだ。
「こうなりゃヤケだ。やってやる!」
「生きろよ、英雄!」
私は剣を構えた。
かがり火が揺れ、いくつもの影が街に交差した。