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ベルトロは片手で額を覆い、首を振った。執務室には何度か人の出入りがあったがあったが、そのせわしない騒音全てより彼の足音ひとつの方が私の耳にはよく響いた。
「呪いで力を失ってた時のアイツは、なんつうかな……平和だった」
そして彼は天井を見上げる。
「戦う必要もねえし、怖い顔する必要もねえ。そのまんま暮らしてた方が、アイツは幸せだったかもな」
恐らくベルトロの脳裏には、あのバルディジニアの花が揺れたのではないか。少なくとも、私にはそうだ。
「でも俺は泉の呪いを解いてやった。それでまた、元通りってわけだ」
背後ではバルディスタの紋章を背負った青い軍旗が風にたなびく。バルディジニアの青い花びらのように。
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「魔界はまだ自分を必要としてる。そう言ってアイツは戻ってきた。誰かが必要とする限り、一生解けねえ呪いかもしれねえ。少なくとも俺は、そいつを利用してる」
ベルトロは肩をすくめた。
「罪深い、かねえ」
私はベルトロと国旗を交互に見つめながらヴァレリアを思った。
彼女がこのバルディスタを背負う存在であることはこれまでの経緯からも明らかだ。それは危うく、脆く、そして重い。
私は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「この国は魔王ヴァレリアを必要としている。それは確かでしょう」
そして窓辺に眼をやった。街並みが広がる。
「……だがこの国を支えていたのは魔王の力だけではなかった。少なくとも私にはそう見えた。それは貴方の方がよくご存じなのでは?」
ベルトロもまた窓辺に寄り、たくましく再生していく街並みを覗き込んだ。
名もなき兵士たちが、バザーの商人たちが、酒場の娘たちが、ヴァレリア不在の間、必死でこの国を守り抜いたのだ。
「街のヒラ兵士が言っていましたよ。こんな時に備えて、魔王がいなくなっても平気な国を作る方が大事なのかもしれない、とね」
補修工事の音がここまで響いてきた。やかましく、力強い。
「そういう体制作りを進めることは、呪いを弱めることにはなりませんかな」
私は上目遣いにベルトロの顔を見上げた。
力のみが支配する世界。それはあまりに純粋で、あまりに危険なものだ。今回の一件で、住民達にもそういう認識が広まりつつある。
鉄血の国、バルディスタも暴力以外の力をもって秩序を作り上げる時期にきているのではないか。制度、法、貨幣に経済、それに身分。腕力だけでは動かしきれない支配の土台。
そしてそれによって今のバルディスタは否応なしに変わっていくだろう。成熟、あるいは複雑化。そして鈍重化。
……アストルティアにとっても、その方が都合がいい。
ベルトロは不意に窓から視線を外すと、鋭い一瞥を私に投げかけた。
私はそれを受け流す。……受け流せたと、思う。
「最近の商人は物知りだねェ」
彼は苦笑し、肩をすくめた。
会見はそれで終わりだった。
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* * *
街を歩く。ブラックアーマーが肩をそびやかし、荒くれどもが筋肉を見せつける。無骨そのもののバルディスタの街だ。
ベルトロの前ではああ言ったが、今のバルディスタが好きだ、という声も決して少なくない。
力が正義。そのシンプルなルールに対して誰もが忠実で純粋。だからこそ帰還したヴァレリアに全ての兵が恭順したのである。その単純明快さはゼクレスの複雑怪奇な階級社会にも、利にさとく抜け目ないファラザードのバザールにも無いものだ。バルディスタが成熟すればするほど、その純粋さは失われ、社会はより複雑で濁った構造へと変わっていくに違いない。
そしてそれはまた別の呪いを生むだろう。
王とは須らくして呪われるべき存在なのかもしれない。
三人の魔王、そしてアストルティアの王たちの名を頭の中に並べ、かき混ぜる。全てはカオス。混沌の中に光あれ。
兎も角……
私はヴァレリア帰還という重要な情報を手に入れた。ひとまず、これをヴェリナードに報告せねばなるまい。
我々は怪しまれぬようしばらく商売を続けた後、酒場の面々に別れを告げて馬にまたがり、バルディスタを後にした。
魔界の雲は複雑な空模様を描き、大地はまだらに染まる。極北の大光球は依然として天にあり、その全てを見下ろしていた。
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(この項、了)