
銀色の滑らかな髪に弦が触れる。少女は腕を震わせながら歯を食いしばった。
弓は揺れ、弦が震える。私は厳しく叱咤した。
「腕だけの力では引けません。体全体で!」
少女は頷くと足を大きく広げ、体重を後ろ脚にかけた。弓ががくりと傾く。
「フォームを意識して。崩れると力が分散します」
私は少女の後ろに立つと、肩と腕の位置を整える。少女が胸を張るのと連動して、弦がするりと降りていく。
「的をよく見て、あとは自分のタイミングで……」
少女はもはや返答の余裕もない表情で杭に取り付けたターゲットを凝視した。風も黙り込む。
そして「……!」声にならない気合と共に矢は放たれた!
瞬く間に練習用の矢じりが突き刺さる。……地面へと。少女はヘナヘナと座り込んだ。
「やっぱりダメかな……」
「いえいえ、前に飛ぶだけでも立派なものですよ、イルーシャ殿」
私は巫女に手を貸して立ち上がらせ、首を振った。
私の名はミラージュ。ヴェリナードに仕える魔法戦士団の一員だが、今は旅商人を装い魔界探索の旅を続けている。
そんな私が何故、魔瘴の巫女イルーシャに弓を教えているのか。
……話せば長い話になる。
* * *
バルディスタでの探索を終えてゲルヘナ幻野に戻った我々はヴァレリア帰還の報をまとめ、待機していた連絡員へと受け渡した。
当初の予定ではそこで我々も帰国する予定だったのだが、ちょうどその頃、ゲルヘナを訪れる旅人たちから気になる噂が聞こえてきた。エルガドーラ亡き後、ゼクレスの実質的指導者となっていたオジャロス大公が失脚したというのだ。
私はヴェリナードへの報告を連絡員に任せ、そちらの調査を開始した。まずはゲルヘナでの情報収集……。
そんな時、旅人たちに紛れてゲルヘナの市を歩いていたイルーシャと出会ったのは、まったくの偶然だった。
しかも、その傍らにいたのは……。

燃えるような赤毛、笑顔の底に確固たる自信と抜け目ない眼光を宿した黄色い瞳。旅人風の服装をしているが間違いない。ファラザードの魔王ユシュカその人である。
……私が受けた衝撃を逐一言葉にしていくとそれだけで日が暮れてしまうので、省かせて頂こう。
「奇遇だな。相変わらず、冒険商人って奴か」
ユシュカ王はからかうような笑みを浮かべて肩をすくめた。黄色い瞳が鋭く光る。
私は以前、ファラザードのバザールでも商売をし、その時にイルーシャやユシュカ王とも面識を得た。私がただの商売人ではないことも、薄々感づいていたようだった。
だが彼はそれを咎めるようなそぶりは毛ほども見せず、逆に丁度よかった、と私に一つ依頼を持ち掛けてきた。
「私を護衛してほしいの」
イルーシャは両手を合わせて私のことを見上げた。
彼らはお忍びでここにやってきたが、ユシュカ王には何か、別行動をとらねばならない理由があるらしいのだ。
「もう一芝居……いや、もう一仕事しなきゃいけなくってな。その間に、彼女をこの場所まで連れて行ってほしいんだ」
ユシュカは羊皮紙を一枚差し出した。ジャムリバハ砂漠の南東、デスディオ暗黒荒原。ファラザード領の一部ではあるがその名の通り殺伐とした無人の荒野である。
指示された地点まで行けば迎えが用意してある、とのことだが……一体そこに何の用があるというのか。私は疑問を口にしたが、ユシュカは多くを語らなかった。
私はしばし黙考したのち、報酬としてゼクレスの政変に関する情報を要求した。町で噂を集めるより、よほど確かなものが手に入ると考えたのだ。
ユシュカは笑い声を上げると、ならばイルーシャこそ適任だ、と言った。
「何しろ当事者の一人だからな」
私が目を白黒させたのは言うまでもない。
かくして……我々はイルーシャを護衛する道すがら、ゼクレスで起きた出来事について聞くことになった。
「差し障りのない範囲でな」
ユシュカ王は釘を刺すのを忘れなかった。
(続く)