遺跡の一室にたいまつを立て掛け、入り口を布で覆って仮設の休憩小屋を作り出す。夜が来れば我が千夜一夜の姫は再び魔導の国の物語を語りだす。
遺跡内部に溜まった砂は炎の揺らめきに照らされ、千変万化のいろどりとなって物語を飾り立てた。
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「アスバルは……本当は自由に生きたかったんだって。お母さんからも、国からも解き放たれて……」
彼女は砂を掌に載せた。揺らめく影が砂をまだらに染める。
「王族には、叶わぬ夢でしょう」
私は淡々と答えた。
とはいえ、王太后エルガドーラの魔女ぶりは有名だ。イルーシャが教えてくれた数々の物語も、その評判を裏付けるものだった。
先の大戦では、アスバル自身を魔導兵器として"運用"していたほどである。
逃げ出したくなる気持ちもわからないではない。
「大魔王になってやりたいことは、お母さんから逃げることだった、って聞いたわ」
「……仮にも魔王でしょうに」
「そう生まれてしまって、そう育てられてしまったの。彼に他の道はなかったと思う」
イルーシャの細い指から砂が零れ落ちた。わずかに残った砂を柔らかく握りしめ、彼女は砂の向こうに何かを見つめる。アスバルか、エルガドーラか、それとも……
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……とはいえ、そのエルガドーラももういない。自らの地位を脅かすオジャロスも消え、アスバルにとっては万々歳といったところではないか。
私がそう言うと、イルーシャは複雑な顔で首を振った。
「彼にとって、お母さんの存在は……もっと大きかったみたい」
そしてここだけの話、と釘を刺したうえで彼女は秘密めかして語った。
オジャロスとアスバルが戦いを繰り広げる中、イルーシャには亡きエルガドーラの声が聞こえたのだという。
「王太后の……?」
「多分、アスバルにも聞こえてたはずよ」
イルーシャは遠くを見つめる瞳でそう語り、エルガドーラが息子に遺した最後の言葉を教えてくれた。
私にとってはかなり意外で……美しい言葉だった。
「彼にとっては、きっと救いだったでしょ?」
「……かもしれませんな」
私は曖昧に頷いた。無感動な反応にイルーシャは不満げであったが、私は魔王アスバルを知らない。ロマンチズムに浸るには、少々距離が遠すぎた。
それに……
……疑念もある。
アスバルが聞いたエルガドーラの声とは、真実、王太后のものだったのだろうか
イルーシャを疑うわけではないが、これまでのエルガドーラの評判を考えるに、どうも信じがたい。
あるいは、こうあってほしいという思いが聞かせた幻聴に過ぎないのではないか……
サボテンの花が風に揺れ、言わぬが花、と微笑んだ。イルーシャに嫌われたくはないので、私はその言葉を胸の奥にそっとしまった。
死人に口なし。ならば美しく飾っておいた方がいいという考え方もある。
人は、真実のみに生きる生き物ではないのだ。
たとえ幻聴だとしても、それがアスバルの後押しになるのなら……
「きっとそうなのでしょうな」
私は流れていく砂を目で追った。ともしびが風に揺れると、もう地面に紛れて、わからなくなった。
さて、アスバルは国民の信頼を得ることができるだろうか。ゼクレスの紋章は王錫とイバラ、そしてコウモリ。
彼はその主として相応しい姿を見せねばならないのだ。
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力でねじ伏せれば済むバルディスタよりも、ある意味では御しがたい怪物かもしれない。彼の対応次第では……
『一波乱、あるやも、だな……』
私は胸の内で独りごちた。
ところで……
イルーシャの話や街の噂から人となりは何となく想像できるが、魔王アスバルとはどんな顔をしているのだろう。私が以前、目にした肖像画はあまりに絵柄が荒く、よくわからなかった。
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「今度、描いてあげようか」
イルーシャが嬉しそうに言った。彼女は最近、絵に凝っているらしい。荷物袋から取り出したスケッチ用の画材も、なかなか本格的なものだ。
「では、次に仕事を頂いたときに報酬としてお願いしましょう」
私は冗談めかしてそう言った。
その翌日、我々はついにデスディオ暗黒荒原へと到達した。
(続く)