魔界へ戻った私の耳に届いたのは、またも驚くべき報せだった。
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「大魔王戴冠……?」
「ああ、今魔界中がその話題で持ち切りさ。知らないなんてアンタ、遺跡にでも潜ってたのかい?」
商人は呆れ顔で言った。
どうやら私のいない半月程度のうちに、新たな大魔王が戴冠したようなのだ。しかもそれはユシュカでもアスバルでもヴァレリアでもない。
……どういうことだ……?
私は混乱しようとする脳をどやしつけながら情報収集を行った。
混沌の魔界に彗星のごとく現れた大魔王。断片的なうわさ話を組み合わせて推察するに、この王はかなり飛びぬけた人物らしい。
バルディスタではあのヴァレリアと互角以上の戦いを演じ、ゼクレスでは失伝したと思われていた古代の舞を披露して伝統を重んじる貴族たちを唸らせた。そしてその肉体は恐怖そのものを具現化したような漆黒の仮面と甲冑に包まれているのだという。
ただ、ゼクレス王族が挑む知恵の試練では小一時間ほど悩む姿を見せたとか……どうもクイズは苦手のようだ。
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「これで魔界も一安心、なのかねえ」
商人は不安な顔を隠せない。
三人の魔王は大魔王の戴冠を承認し、正式にその部下となった。これにて魔界は統一国家となり、戦争も終結することになる。
だがあまりに突然な展開に魔界全体が浮足立っている様子だ。
だいたい、これほどの才能がどこに埋もれていたというのか……。
人々の反応も様々だ。
大魔王万歳を唱え、おこぼれに預かろうとするもの。疑惑の視線を投げかけるもの。三魔王の傀儡に過ぎないのではないかと深読みする声もある。不満を持つもの達を中心に革命軍が結成された、などという話まで聞こえてきた。
魔仙卿が乱心したとの噂もある。大魔王の治世は安定とは程遠い状態のようだ。
「我々の持つ"最新情報"は、とっくの昔に"過去の歴史"になってしまったらしいな」
ため息が魔界の空に吸い込まれる。雲は足早に混沌の海を泳ぎ、瞬く間に空模様を書き換えていった。
勇者姫もこの空を見上げているのだろうか。現在の魔界情勢を把握するのも大事だが、何よりもまず、彼女と合流せねばならない。
我々は勇者の足跡を追った。
幸か不幸か、魔界の人々は噂好きだった。特に、各地に出没する正体不明の白装束集団などは絶好の話のタネだ。ましてその集団が圧倒的な戦闘力を持ち、魔王打倒を目指しており、魔瘴を祓う力まで持ち合わせているとなれば……
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「まったく、隠密行動のできん姫だ」
「勇者はいつも正々堂々、でしょ」
リルリラはあっけらかんと笑った。
勇者姫の行動は迅速だった。バルディスタで魔瘴を沈めたかと思えばゼクレスで貴族の屋敷に乱入。ファラザードのバザールでは粗悪品をつかまされ、再びバルディスタを訪れては玉座の間へと突撃。
剣士ダボウをはじめとするバルディスタの精兵といえども、その圧倒的戦闘力の前には……
「手も足も、出せなんだ……」
ダボウはがっくりとうなだれた。むべなるかな。相手は勇者。我々の手の届く相手ではない。
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「ま、俺が追い払ってやったけどな」
と自慢顔でサムズアップするのは副官ベルトロである。言うまでもなく武力ではなく口先で、だが。
「ヴァレリアの居場所を教えてやったから、今頃は大魔王城に向かってると思うぜ」
「……それは魔界の総本山なのでは?」
白けた風が王宮を吹き抜ける。ナギ青年がアクビをした。
普通、勇者を一番遠ざけねばならない場所である。
「命の方が大事だろ。それにアイツらで勝てないなら、どのみちお手上げだぜ」
ベルトロは肩をすくめるのだった。
ともあれ……勇者姫の次の目的地はわかった。最悪に近いが。
「せめて姫が大魔王と対峙する前に追い付かねば……」
我々は急ぎバルディスタを発ち、大魔王直轄領へと馬を走らせた。
あの日、イルーシャと共に歩んだ道……デスディオ荒原への道を。